終ノ空 (ついのそら) ケロQ

1999年8月27日発売
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 1999年は、「終末」をうたうゲームが多くリリースされた年でありました。その端緒は『ONE』(Tactics)あたりでしょうが、その後は「滅び」をネタ(テーマとはかぎりません)にしたゲームが散見されるようになります。例の「ノストラダムスの予言」にあやかったものかもしれませんし、世紀末という点もあるかもしれませんが。

 さて、人を食ったようなブランド名に加え、NIFTYでちらちらと「割といい」といった評判を目にしていながら、手にすることもなく過ごしてきたゲームが、『終ノ空』。購入動機も、単に2000円セールで売られていたから、というだけのものであって、積極的な購入ではなかったのですが、意外とヘビーな内容があり、いろいろと思うことを表に出させてくれるゲームでもありました。

シナリオ

 2人の生徒が相次いで自殺するという事件が起こる。そしてまた、「今月20日に世界が終わる」という噂が広がる。相乗効果によって、その学園は不安に包まれ、生徒たちの間には動揺が広がっていった。そんな中、狂気に憑かれた一少年の行動によって、ある生徒たちは破滅へと突き進んでいく。そしてまた別の一少年は、彼の行動の中に欺瞞と独善とを感じるとともに、その狂気から幼なじみを守ろうと動く。彼らの前に出てくる「終ノ空(ついのそら)」という「世界の終わり」を示す現象。そして、その後、世界はどう拓かれていくのか。

 

 このゲームのメインテーマとしては何を挙げるべきか、と問われると、即答するのは困難に思えます。ただ、エピローグから類推すると、呈示されているもののうち重要なものとして、「ある」ということへの意志、その意味に関する問いかけがなされているように見える、そんな風に感じます。

 この議論そのものに関する(私自身の)考え自体はひとまず措くとして、まず注目するべきは、ゲームの中で語られている観念が、単純な自己完結へと安易に走っておらず、紆余曲折を経ていることでしょう。既定の観念を組み合わせている、というよりは、そういった観念をおもちゃのような「道具」として、それぞれのキャラクターの口を通じて顕現させ、そして「メッセージ」を伝えているように感じます。そして、キャラクターそのものの「記号化」を徹底させることで、独特の雰囲気を作り上げています。非日常からくる非合理な不気味さ、これを「謎の目玉」などを交え、うまく出している、これはいいでしょう。

 

 ゲームに接した方の感想を拝見したかぎりでは「どうしてこういう妙な「哲学」ネタを?」という戸惑いを感じられるケースがけっこう多かったのですが、私には、このゲームは「ニューアカデミズム世代の盛大な“現代思想”パロディ」だろう、と感じられました。冒頭でカントを持ち出している意図はいまだによくわからないのですが、ヴィトゲンシュタイン(正確には、初期ヴィトゲンシュタイン)の『論理哲学論考』を主人公・行人の口から出すことで、その後に「言語ゲーム論」というキーワードで語りうる後期ヴィトゲンシュタインの論調が何らかの形で出されることを暗示する(実際、論理空間の「外部」を、論理内から出るという形で描出しようとする手法がメタフォリークに出ています)など、それなりにニヤリとさせる憎い「伏線」があちこちに用意されています。1980年代のムーブメントを知っている人間であれば、方法としての展開に、ピンとくる手法が多用されています。

 しかし、こういった展開を用意するための「伏線」は、どの程度プレイヤーが理解可能な形で出されているか、となると「わかる人にはわかる」程度に留まっている、としか見えません。マニアックなネタに対して蘊蓄を語るゲームは珍しくはありませんが、このゲームでは、「何やら深遠なものがある」という雰囲気作りに成功しているだけに、「よくわからないけど、何か深いゲームなんだなぁ」と思わせてオシマイ、になってしまうのでは。当然ですが、メッセージの「送り手」と「受け手」との間に、共通に語りうる問題意識がなければ、それはメッセージ足り得ません。このゲームは、まさに「語り手」の一方的な「戯れ」が、道化にすらならず、いわば砂漠で演じられている観客なき演劇のような滑稽さを示しているように感じます。

 不親切な「戯れ」こそが、むしろ(著しく反語的に)階梯を用意するといった面も、特に見られません。ことごとく不愛想なことこのうえないゲーム、という気がします。

 

 また、手法として使われているネタとして、カルト集団の形成というものを取り上げていますが、なかなか上手い方法だと感じます。突発的な事件に対して恣意的に記号を付与し、さらに空想虚言者がコスモスを作る。パターン的な展開ではありますが、それを「狂気」の一言で終わらせずに、そこに陥る過程をきちんと描き、されに、虚言による自縛(→自爆)のプロセスを生々しく出しています。これには感心しました。彼の論理には、G.バタイユの議論を想起させるレトリックが用いられていたように感じます。もっとも、私は「集団自殺」に関してはあまり考えたことはないので、その視点ではちょっとわからない点が多かったのですが、それを可能とするほどの精神的な絆帯を短期間に結べるのかどうか。論理的合理性以前の問題ですが、いうなれば「妄想の共同体」におけるリーダーのカリスマ性だけでは、自己破壊衝動が数日で発生するはずはないでしょう。この視点でみると、かなり疑問は残ります。

 

 なお、Hシーンの濃さは、なかなかに評価できます。女性がいじめられる展開、あるいは自分から求めていく展開などで、その心理が実にたんねんに描かれています。単なる陵辱ものではなく、またラブラブものでもないのですが、こういう描き方をしているゲームはめったにないだけに、まずはそこを高く評価したいと思います。

 

 あと、細かい点ですが、「義妹」を連呼するのは、見苦しいからやめなはれ。最初の説明のときに使うのであればいいけど、人に対して呼びかけるときに「××の義妹」なんて言葉は絶対に使わんでしょ。暗黙の了解事項ともいうべき「例の規定」を意識した結果なのでしょうが、こういうつまんない自主規制を強めていながら「外部」を語ることの白々しさは、どうにかしてほしいものです。それはそれ、といえるタイプのシナリオじゃないんですから。

ゲームデザイン

 ほぼ一本道に近いシナリオが4本+エピローグ、という構成になっています。各シナリオの分岐はほとんどありません(選択によっては、CGが見られない場合がある、という程度)。各シナリオでは、それぞれ別の主人公が用意され、その主人公の視点が切り替わることによって、異なる物語を見せる、という仕組みになっています。ただし、これは単一の時間ないし事象のみを異なる視点で描いていくというものではなく、時期的にも対象にもズレが大きく、いわゆる「マルチサイト」とよばれるものとは、少し性質を異にしています。

 ある1つのシナリオを最後までクリアすると、別のシナリオに入ることができます。ただし、Aの次に見られるシナリオはB、その次はC、という具合に、順序は固定されています。また、全シナリオをクリアし、「クリア」データをロードすると、任意のシナリオの節目の個所からロードできます。

不具合・修正プログラム

 特に不具合は感じませんでしたが、ほかのタスクに切り替えると、音が止まります。また、とにかく重い…。「MADE WITH MACROMEDIA」だと、基本的に重くなる、という説をあちこちで目にしますが、それが事実かどうかは私は知りません。ただ、このゲームがその「説」に適合していることは確かです。

操作性など

 対応OSは、Windows95/98です。

 CD-ROMをドライブに挿入すると、オートランによりCD-ROMから起動しますが、実際にはハードディスクにCD-ROM内のデータをすべてコピーし、そこから起動する方が快適です(こうすると、プレイ時にはCD-ROM不要)。マニュアルには一応そう書いてあるのですが、それならオートランでセットアッププログラムが起動するようにしてほしいもの。こんなのはまだまだ序の口で、かなり嫌な仕様がてんこもりです。

 画面表示は、800×600サイズで、それ以上の解像度にしている場合は外側が黒の壁紙となります。会話部分では通常のメッセージウィンドウ方式で、キャラのモノローグ部分はビジュアルノベル表示となりますが、これの切り替えが頻繁に起こると、そのたびに画面表示が「ゆ〜っくり」切り替わるので、なかなかうっとうしいものがあります。私の環境(プレイ当時、Celeron433MHz定格+S3 Savage4Pro)でパワー不足ということは考えにくいだけに、プログラムにかなり問題があるのでは。

 操作はすべてマウスで行い、キーボードは受け付けませんが、ひたすら「読む」だけのゲームであるだけに、どちらも使えるようにしてほしかったものです。右クリックで呼び出せるシステムメニュー(Win3.1かMacみたいな形してます)では、セーブ・ロード・早送り・メッセージウインドウを消す・ゲーム終了などが実行可能。セーブ&ロードは、選択肢が表示されている位置以外で、8個所まで可能ですが、一本道なので、ゲーム中断以外の理由で使うことはないでしょう。ゲームをひととおり終えた時点で、シナリオの区切りごとに再開可能になっています。なお、シナリオ既読・未読のデータは、セーブファイルとは別にWindowsディレクトリに保存されますが、そんなのどこにも書かれていません(^^;)ので注意が必要。

 また、CGモードもBGMモードもありません。CGは割と感じがいいので、ここは工夫がほしかった。

サウンド

 PCMでなんか鳴っていましたが…本当に存在の薄いサウンドでした。なくても大差ない、という程度の存在感というのは、さすがに珍しいかと(^^;) 音声はありません。

グラフィック

 キャラ原画は複数の方が担当されていますが、女性陣についてはまず問題ないとして、無気力この上ない行人のだらっとした姿勢がなかなか味わいがあって好き…というのは少数派なのでしょうか(^^;) ま、琴美も可愛いし。

 この種の「どことなく不気味なシナリオ」にありがちなのですが、やっぱり背景が寂しいですね。

お気に入り

 特にありません。キャラクターの描き方自体は割とおもしろいとおもうのですが、個別のキャラクターが印象に残る、ということはありませんでした。

関連リンク先

 まずは、成瀬せりあさんのサイト(閉鎖)が、各シナリオにわたってしっかりとした論を見せておられますので、必見でしょう。また、鷹月ぐみなさんのサイトにある「分析ノート」は、このゲームで使われている題材に関して浮かぶであろう疑問に対し一定の方向を指し示してくれますので、プレイ済みの方はやはり必見。また、もともとネタとして特に興味をお持ちでない場合には、SHEOさんのサイトが有用でしょう。

総評

 一言でいえば、一昔前に吹き荒れた現代思想ブーム(ニューアカデミズム、ポスト構造主義)のパロディ、そして閉塞社会への不安をそれに当てはめてみた、そんな感じでしょうか。ただ、パロディの元ネタになっているテーマの多くは、冷戦最末期ごろに盛んに語られていたものであり、青い過去(^^;)を持つ人間にとっては、幾ばくかの懐かしさ、そして言葉にできない妙な恥ずかしさを感じたのも事実ではありますが、今さら取り上げるアプローチかいな、という気もします。

 ただ、それ以前に、このゲームを「パロディ」でないとして受け止める場合、どんな評価になるのか。それは、私には判断できません。けらけら笑いながらプレイできたとはいえ、「わけわかんないけど」という枕詞をつけないと語れないゲームになりそう。その「わけわかんない」こと自体に、ポジティブな意味があるわけじゃないでしょうから、マニア受けの濃いネタに走ったゲーム、とまとめるべきなのかも知れません。

 設定に意表をつかれたのは確かですが、どんな狙いで、18禁ゲームプレイヤーにぶつけたのか。確かに、エロがないとなりたたない展開にはなっていますが、それだけのような気もします。野心的なのはポイント高いけど、これじゃ「自己満足」のままで終わりかねません。

 なお、この種の話に興味をお持ちの方には、柄谷行人『差異としての場所』(講談社学術文庫)を挙げておきます。

個人評価 ★★★★★ ☆☆☆☆☆
2000年3月28日
(2000年6月19日、「関連リンク先」ほかを一部加筆)
(2000年11月24日、加筆・修正)
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