Alive Witch

1999年11月26日発売
ご意見などは掲示板へどうぞ

 「戯れ言」の方でもご紹介したとおり、BGMmasterさんから頂いた『Alive』(Witch)論を、以下に転載させていただきます。自分一人の視点ではまず気がつかないというだけでなく、別の視点を呈示されることで、逆に「視野が固定化していた」ことを痛感させられました。

 NIFTYでの発言ログを見ると、「(後半が)短すぎ」といった指摘が多かったものの、内部に踏み込んだコメントがほとんどありませんでした。その程度に取り扱われているのも、無理ないかな、という気はします。光るところは確実に持っているゲームだと思うので、「地雷」ではないと思うのですけれど。

 なお、この文は、私が書いたレビューに対するレスという形式を採っている部分が非常に多くなっておりますので、私のレビューをまず御一読頂ければ幸いです。

やっぱり・・・

(↑)人にゲームを奨めるって難しいですね。(^^;

「Alive」のレビュー読みました。(予想外の速さでアップされてました)

Kenさんがプレイされた以上、ネタバレを含んでも差し支えないと思いますので、少々踏み込みます。

 

まずKenさんが挙げておられる諸々の欠点、全くもってその通りです。

異論ありません。まあ、敢えて言えば、

導入部分に当たる、すなわち柚木が事故死するまでの時間があまりにも長すぎます。

というのは、私には「故意」であったように思います。少なくとも、後半部において幾度かリフレインされていることを考えると、単に冗長では済ませられないものがあります。個人的には、後半部のボリューム不足の方が気になりました。

いずれにしても、

テキストを書く分量配分を計算していなかったとしか見えないのですが。

という点においては同感です。

 

ちなみに導入部のまずさ、後半部の急展開(というよりは前半との落差)という点では、むしろ「ONE」の方が激しかったように思います。

「ONE」については、「ゲーム別」で書かれている内容について色々伺いたいので、機会を改めたいと思います。(でもその前に「雫」かな・・・)

 

以下、解釈の吟味に入ります。

前提として、私が気に入っているシナリオは祐里子だったりします。というか、それ以外は基本的に「どうでもいい」・・・。(^^;

春菜を加えても良いのですが、シナリオの出来は祐里子の方が遥かに上でしょう。

 

で、(後半部の展開が)

「存在」のあり方を、ヒロイン側が傷つき、悩み、乗り越えていく、そういうスタイルになっています。

・・・う〜ん・・・確かに言われてみればそうなのですが・・・。

「存在」というテーマは、やはり「ONE」に於いて最も強く描かれていたように思います。ただ、そこまで深く踏み込み得たのは、Kenさんの言葉を借りれば「ファンタジー」の手法を用いていたからだと考えています。「存在」という漠然とした概念を描くには、私たちが生活している空間(時間)の枠を無理矢理超えて、いわば仮想的な体験をプレイヤーに強要しなければ不可能です。それは、創作ならではの強力な比喩表現であると同時に、常に現実感の喪失と隣り合わせの表現方法です。

この作品で描かれていたのはむしろ、幸福な日常が脆くも崩れさったあとに残る心の葛藤であり、そこから引き出されるテーマは、「心の安定」であると考えます。これは人が生きていく上で(言わば本能に於いて)必ず求めるものであり、そのひとつのケースとして、「親しい人の死」をモチーフに描写を試みたのが「Alive」という作品であると考えています。

してみると私の解釈では、不意に(これは春菜では成り立ちませんが)崩された心のバランスを必死に保とうとする人間の「もがき」、その(本能的な)目的たる「自己の修復」は見て取れますが、「乗り越える」という部分は結果として生じた副次的なものに感じられます。

また、この作品で語られるべきは、あくまで「平穏を求める心」であって、「悲劇の克服」はそのための題材でしかないと考えます。

 

またその過程は、主人公が激しく落ち込み人と接するのを避けているという設定になっているため、「主人公視点での描写」がごく限られた範囲となっており、そのために却って、突き抜けるような力強さを感じさせるケースもあります(トゥルーエンド、および祐里子エンドの場合)。

実はエンディングそのものは良く覚えていないので(←おいおい)、私がイメージしている場面とKenさんがイメージしている場面は違う可能性があるのですが、私が裕里子シナリオで感じたのは「脆さ」であって、強さではなかったです。その辺については後述します。トゥルーエンドについては・・・そんなものは知りません。(^^;

 

その反面、主人公の描写については、その多くがモノローグによっているにも関わらず、「定まらない気持ち」を向ける先がない、という以上のことを伝えていないようです。主人公がエンディングを何らかの形で迎えるにせよ、柚木の存在、記憶といったものを、自分の中でどう位置付けるのか。時間の掛かる孤独な闘いといってもいいでしょうが、その過程が非常に薄いのは問題です。単に「立ち直りが速い」あるいは「いつまでもウジウジ」の両極端で話を進めるのを避けたという点では評価できますが、エンディングに到達するまでにかかる時間が短すぎて、内部の心的葛藤を裁き切れていません。

この部分については、私がKenさんの文章の意図を掴みきれていない可能性がありますので、ご了承下さい。

前述しましたが、私はこの作品のテーマを「心の安定」と位置づけています。それをプレイヤーに最も強く意識させる方法は、『(柚木の死に対する)「定まらない気持ち」を向ける先がない』人物を描き、同時に、Kenさんのおっしゃるように、『「定まらない気持ち」を向ける先』を明確にした人物を描写することによって、「不安定性」を対照的に提示することだと思います。この両者の対比があって初めて、「心の安定」というテーマはリアリティを持ってプレイヤーに突きつけられます。この作品に於いて、前者の役割は主人公が、後者の役割は祐里子(或は久遠)が担っているように思うのですが、如何なものでしょう?

私は上で、この不安定性からの脱却を試みる行為を「もがき」と表しましたが、その中で『柚木の存在、記憶といったものを、自分の中でどう位置付けるのか』ということを明確に描くことは、「予定調和」以上の意味を持ち得ない気がしています。その役目を祐里子(或は久遠)に任せたことは、個人的には意欲的な試みと評価しています。

但し、最終的な段階でこの問題に明快な解決が示されていない(←記憶が違わなければ)ことは、この作品が(悲劇の克服という行為に対して)何らかのメッセージを意図するものであったとすれば、大きなマイナスでしょう。

尚、『エンディングに到達するまでにかかる時間が短すぎて、内部の心的葛藤を裁き切れていません』というのは全くその通りだと思いますが、果たして裁き切った先に深い意味があるのか、と言われると、むしろ理想を追及しすぎた虚像か陳腐な結末しか得られない気がしています。

まあ、それを(マルチシナリオ等で)描き切るのがライターの仕事なのですが。(^^;

 

人間の「死」は、生体活動の停止に留まらず、その存在が社会的に抹消されることをも意味しています。そして、「関係」を築いていた人間ほど、その「抹消」に対して臆病になるという、いうなればごく当然の問題に対し、そこで生じた悩みの解決に関してはヒロインに下駄を預けてしまい、主人公が「主」足り得ていないのは、このゲームが発するメッセージから考えると、致命的な問題でしょう。

根本的な問題として、この作品に果たして「メッセージ」があるのかどうかは疑問符です。少なくとも私には、明確に「これが答えですよ」というような内容は見て取れませんでした。ならばいっそ、プレイヤーを突き放す厳しい態度を見せて欲しかったのですが、

引き込むパワーがなく、かといって人を突き放すだけの潔さもない、どうも中途半端という印象があります。

というKenさんのお言葉通り、プレイヤーを突き放すだけの厳しさがありません。なまじ柚シナリオを入れたり、久遠に妙な設定をつけたりせず、バッドエンドを組み込むなどしていれば、もう少しプレイヤーに迎合した作品、という印象が拭えたのではないかと思うと残念です。

特に久遠の設定については、Kenさんのおっしゃる

「考えたネタをひとまず取り入れました」

という印象を拭えません。

というわけで、私はこの辺を「見なかったことにした」わけですが・・・。(^^;

 

さて、『人間の「死」は、生体活動の停止に留まらず、その存在が社会的に抹消されることをも意味しています』とありますが、これは「ONE」でも書いておられたことですね。Kenさんは敢えて突っ込まないようにされているような気がするので、確認をとらずに書いてしまって良いのかわかりませんが、個人的には「我思うゆえに我在り」というデカルト哲学的な視点を抜いて考えるべき問題ではないと思っています。(注・私は理系なので、深くは突っ込まないで下さい(^^;)

「Alive」で描かれている「生きる」という行為の意味は、むしろこちらの意味合いの方が強く、私が解釈したように「心の安定」に着目するのであれば、「死≒心の崩壊(発狂)/心の活動停止(思考停止)」という視点が生まれます。

 

で、

『「関係」を築いていた人間ほど、その「抹消」に対して臆病になるという、いうなればごく当然の問題に対し、そこで生じた悩みの解決に関してはヒロインに下駄を預けてしまい、主人公が「主」足り得ていない』

とありますが、

「社会的な抹消」という視点から見れば、これは非常に鋭い批判だと思います。少なくとも主人公が、「自殺は柚の死を認めることになる」としてこの行為を押し止めている以上、この点を主人公が(自力で)解決していないことは(作品のメッセージを主人公に依存して表現する、という前提に立てば)大きなマイナスです。

しかしこの作品が、明確なメッセージを持たない場合、テーマに沿って作品の流れを見つめ直す必要があります。私の場合、「心の安定」をテーマと位置づけたので、主人公とヒロインの感情の変遷を洗い直してみることにします。

というわけで、以下に私なりの解釈を示します。

 

まず主人公ですが、柚の死の直後、誰とも接触を取らない時期を、私は「(心の)仮死」と捉えています。「柚」以外の一切の思考を切り捨てているため「心の活動停止(思考停止)」に限りなく近い状態だからです。

次いで久遠、祐里子らと接触を取る時期は「蘇生」に相当します。正確にはKenさんがおっしゃるように、『悩みの解決に関してはヒロインに下駄を預けて』ということなので、この場合の「蘇生」とは外的な力によるものですが、元々の状態が既に自然治癒不能であったと考えれば、それほど不自然ではありません。むしろ「奇跡」などの力業(?)で、死者を強引に復活させる(eg.Silver Moon)よりはよほどリアリティがありますが、このあたりは好みが別れそうです。

尚、以前SHEOさんのページで「理想像的人物は別にいる」と書いたのは、主人公に祐里子のような行動を取って欲しかったからなのですが、私にはこの設定自体が極めて巧妙に仕組まれたものに思えています。それについては後述。

続く、祐里子を非難し続ける時期は「回復」でしょう。「自分はこんなに悲しんでいるのに祐里子はもう立ち直っている」という感情を抱くあたりでは、「他人を貶めることで自分の保身(精神の安定)を図る」という、現実には(意識下においても無意識においても)非常によくある構図でありながら、創作では滅多にお目にかかれない描写であり、この生々しさだけでも私はこの作品には一定の価値を見出しています。しかもこの時期、この感情が非常に強く主人公を支配しており、これを契機として「主体的な思考」が活発になっていくあたりは非常に計算されていると言えます。

回復期のあと、思考の中心が柚から祐里子へと移っていくところが「(自己の)再生」に当たります。この推移を爆発的に押し進めた出来事が、祐里子が柚の墓の前で「返して」と言っているのを目撃する場面なのですが、このシーンの分析についても後に述べることにします。無論「再生」といっても、「元通り」になるわけはなく、そこには「悲劇の克服」というテーマが伺えるのですが、それを明確に示さなかったのは、Kenさんをはじめ多くの方にとって不満であったことは間違いないと思います。しかし、私の場合は「現実はそんなもの」という感覚で押し切りました。・・・ダメ?(^^;;;

正直に言うとここは記憶が曖昧なので、今はこれ以上書けないです。m(__)m

 

春菜シナリオでも同様の解析はできますが、割愛。

久遠・柚は、個人的には無視したので・・・どうなんでしょう・・・?(^^;;;

まあ、解析したところで大したものが得られないのは間違いないでしょう。

 

で、ヒロインの方ですが、祐里子の場合、外見的には(主人公の視点からは)安定しているように見えます。しかしその実、方々に八つ当たりすることでエネルギーを発散し、主人公を支えることに砕身することで気を紛らわせており、過度の興奮状態であることが伺われます。

これは、主人公との対比においては「心の崩壊(発狂)」に近い状態であり、自分の殻に閉じこもってしまった主人公よりも更に危うい状態と見ることが出来るでしょう(主人公の場合、思考の停止は発狂を防ぐための自己防衛と捉えることも可能なため)。

一見主人公よりも安定しており、多くのプレイヤーが理想像として思い描いたであろう「柚の思い出を断ち切って未来に目を向ける」という行動を(主人公のために)採った祐里子が、主人公以上に不安定な状態にあり、かつ主人公から冷淡な人間と捉えられ回復が遅れる、という表現は、実社会及び、仮想体験と現実の境界で享楽に耽ける人間に対する強烈な皮肉として受け取ることが可能です。

これらの要素が収束されるのが墓場での「返して」というセリフなのですが、言ってしまえば、自分の感情を押さえつけて気丈に振る舞った人間(祐里子)と、自分の感情に負けて殻に閉じこもった人間(主人公)が対比され、その結果、後者の方が安定していたという事実と、前者が後者の救けを借りなくては立ち直れないところまで追い詰められているという皮肉な結果、そして祐里子と主人公を束縛し続ける柚の亡霊に対する祐里子の怒りが垣間見られます。(他にも色々解釈できる科白です)

無論「安定していた」ということが、総合的にプラスとして捉えられるわけではありません。しかし、不安定になった心を元に戻そうとする行為は、言わば無意識に行われるものであり、それを人間関係というしがらみが束縛するという構図は、表層的な題材(例えば友情と愛情の板挟みなど)としては散見されますが、このような極限状態で描かかれることは稀と言えます。

これで、主人公が誤解し放しで祐里子が精神崩壊、などというエンディングがあれば・・・とか思った私は・・・人として失格ですかね?(^^;;;

 

春菜の場合は、主人公と出会う以前から独自の方法を持っており、それが「姉の振りをして姉の存在を確認する」というものです。それが、主人公の境遇を知り、同種の人間と感情を共有することで「仲間意識」を持つことによる安定へと移行を試みるわけですが、これを主人公が蹴ってしまったため、割とどこでも見かける内容になってしまいました。せめて主人公がこの誘いに乗って・・・(以下同文)。(^^;

結局春菜の心境は「一人にしないで」というセリフに集約されるわけですが、はっきり言って表現不足ですね。このセリフに至る過程の心理描写が不足しており、迫真を帯びて響いてきません。

 

結論として、私はこの作品を、人間の持つ「日常への憧憬」という無意識の思考を抉り出し、「生きるという行為の本質」に(ほんの一歩ですが)踏み込んだ作品と捉えています。その題材として悲劇を持ってくるのは至極ありきたりの発想と言えますが、新掲示板の方で出てきた「泣き」を目指した作品群が「悲劇を克服する過程」に感動を盛り込み、しかも多くの作品において「非現実設定により力業で解決」という手法を採っている(即ち、非現実設定の部分に感動の根拠が依拠してしまう)のに対し、「Alive」では「悲劇(非日常)によって引きずり出される人間の自己保存本能」の一端を、現実に即してかなりの解像度で描いているように思います。

一見「泣き」の作品群と全く同じ、いわば「流行り」の題材(=悲劇=死)を用いていますが、この作品の「テーマに沿って死んで」いるのはむしろ主人公とヒロイン(柚・久遠は除く)の方であり、そこには別離も再会もありません。その代わり「(臨)死からの復活」という過程が「人間心理の変遷」という形を取って、主人公とヒロインの間で相関を取りながらも対照的に描かれており、非常に新鮮な印象を受けたわけです。

(但し、以上の評価は「辛うじて祐里子シナリオでなら通用すると言っても良いかもしれない」くらいのもので、他のシナリオ、特に柚シナリオや久遠シナリオでは「泣き」の系統そのまま(しかも全然「泣き」になってない)だったりします。というわけで、こんなものは無視。)

 

このような解析のできる作品は、本作のみではなく、私の思い付くところでは「White Album」「To Heartの委員長シナリオ」「雫」「遺作」などが挙げられます。

「White Album」では、心の揺れの要素として「恋人が芸能人→自分との距離が開いていくことへの不安」という設定を持ってきたのですが、これはものの見事に失敗だと思います。あまりに一般人からは掛け離れていて、リアリティを持って考えることが出来ません。また、肌を重ねた相手に趣味を訊ねるなど、心理面の推移が十分に描かれているとも言い難いです。というわけで、この作品のテーマは別にあるのでしょう。(←深く考える気がない・・・)(^^;

「委員長シナリオ」は主人公の心境の変化が乏しく、委員長の心境と対比されるものがないため、私の考えるテーマを描いたものと考えるのは誤りでしょう。

「雫」は、「狂気に染まってしまえば楽になれる」という、いわば「Alive」とは反対方向の「心の安定」で描かれた作品ですが、私はあまり詳しく解析していないので、何とも言えないところがあります。ただ、狂気の行き着く先を、「毒電波」というフィルターにかけて描いているため、ファーストプレイのときは、あまりの唐突さに暫し呆然とした記憶があります。「雫」についてはKenさんが「ゲーム別」で非常に鋭い洞察をされていますので、近いうちにそれを出汁にして色々と伺わせて頂きます。(^^;

「遺作」は・・・これは「Alive」とかなり重なる部分があるようにも思いますが、何分凌辱系・・・。(^^;;;とても全てを見る気にはなれませんし・・・ねぇ。(汗汗)

 

というわけで、以上のようなテーマを示してくれた作品で、解析に耐えられるだけの解像度を示してくれたものが「Alive」意外に私の記憶になかったため、とりあえず現時点に於いては高評価をつけている次第です。正確には「雫」も入れてよいのかも知れませんが、こちらは方向性が反対であること、「毒電波」のインパクトが強すぎて共感を持てる人(のごく一部)にしか真価が伝わらない作品となっていることなどから、とりあえず同種の作品とは考えませんでした。

「雫」は「現実への皮肉」の強さが半端ではなく(沙織バッドエンドのこと)、そのことがわかる人が多数存在するのであれば、「Alive」など足下にも及ばない作品なのですが、たとえこの作品が一般受けしたとしても「考えることを放棄した」人が群れをなしているだけのようで、高評価をつけるのが怖かったりします。(←敵を増やしそうな危険な発言)

SHEOさんのところでも書いたように、今後「Alive」「雫」のような内容を持つ優れた作品が出てくれば、少なくとも「Alive」の価値は激減するでしょうし、また、この作品を私のように解釈すること自体が、作品を正しく捉えていないということも承知しているつもりです。

第一、この作品にはアラがありすぎます。(^^;

というわけで、SHEOさんのところで「暫定」とつけたわけですが、Kenさんを惑わせてしまったようで、大変申し訳なかったです。

もし、既にこのような解釈をすることが可能な秀作がありましたら、是非ともお教え願います。

 

以下、オマケみたいなものです

一方、「輪廻」という観点で見た場合、そこに流れる無限の時に関しても、何らかの形で触れて欲しかったところですが、その種の描写が見事に欠落しています。主人公を取り巻く「世界」における「時間」、その意味するところを把握せずに「輪廻」を考えることはできないはずです。

これは久遠のことですね。

こんなものは無視です。(爆)

いや、でもまあ、SHEOさんのところでもそう書きましたし。(^^;;;

はっきり言って、ない方が良いですね。

 

もちろん、「伏線を消化しない」という、いうなれば禁じ手スレスレの手法によって、むしろストーリーそのものを「物語としての演劇」に封じ込め、そこからの昇華を可能とさせることは、不可能ではありません(先述の『ONE』は、これを一定程度は成功させていたと考えます)。しかし、この『Alive』では、「考えたネタをひとまず取り入れました」というだけにしか見えません。

全くもってその通りでしょう。

で、「ONE」についてはまた今度、ということで。(^^;

 

登場人物たちの精神年齢は、かなり低いという印象が否めません

低いといえばそうなりますが、「割り切り」の利く大人でシナリオを組み立てるのも無理があるような。かといって、変に「ませガキ」でシナリオを作られるのはもっと嫌ですし。

純粋であるということと大人であるということの境界をどうやって両立させるかは、この世界の普遍的な課題であるように思います。

 

後半部では、主人公の苦悩が「理屈ではない」=言語の論理で説明できないというスタイルのため、いわば「大事なところ」で問題になっていないのが幸いではありますが、

これも苦笑するしかないですね。

 

ピアノ演奏が個人的にはなかなか気に入りました

これはどの曲でしょう?

 

「残されし者」の感情について、あたかも見てきたかのように把握することはできません。

それはおっしゃる通りです。が、これは禁句に近い気がします。

 

恋愛ものとして捉えるのが本筋ではないことを前提とした上で見た場合、キャラクターの配置もかなり粗があり、各シナリオの方向性に統一がとれていないこと、そしてマルチシナリオにもなっていない

キャラクター配置・・・もう少し脇役がいても罰は当たらないよな、と思わせる作品は山のようにありますね。そんな中で、脇役なしのまま描き切った「痕」「雫」は凄いです。

もう少し本質的な配置については、粗というレベルを超えて見る影もないような・・・。久遠が決定的に邪魔な気がします。

シナリオの方向性・・・私も書いてきたように、柚、久遠の方は解析できません。こっちは単なる「泣き」の失敗作でしょう。

 

最後に

現在360行おーばー・・・。(汗汗)

長々と付き合わせてしまって申し訳ないです。

Kenさんのレビューを読んでまず感じたのは「見ているところが違うな」でした。これはKenさんと私の興味が異なっているからでしょう。それゆえ、Kenさんのレビューを読ませて頂くと、大変面白いわけでが。

私の見方がKenさんの目にどのように映ったのかはわかりませんが、何らかの興味となっていれば幸いです。

文:BGMmasterさん

 ざっと拝見して感じたのが、視点の相違です。十人十色と言っても、実際には、論理的で相応の説得力を持つ意見が出ている場合、必ずしもそれに対して「異なる視点」からの意見が明確に出ることは、さほどないケースが多いようです。また、「論理」を構成する側にしても、度々の分析の結果、手法としてのロジックに柔軟性が欠け、次第に視点が固定化されるケースがままあります。

 さて、「視点の相違」と書きましたが、私とBGMmasterさんとの最大の相違点は、シナリオの中に見出した問題点として何を剔出したか、によるわけですが、それは「興味が異なっている」のはもちろん、おそらく、「存在」への認識に大いなる違いがあることに起因するものと考えられます。

 私の場合、「存在」という概念が、原存在の主体たる人間固有のものであり、それは決して自然科学的にアプリオリなものと認められることはない、という考えが、『Alive』レビューの中に染み出ています。要するに、ハイデガー哲学の影響を露骨にひきずっているわけですが、裏を返せば、「近しい他者の死」という経験がないという個人的事情もあって、それを観念的にしか想像できず、そこから一歩も踏み出すことができないという見方もできましょう。せいぜい、意識をともに諒解しうる他者を媒介にする「他者」の喪失による自己意識の揺らぎ、といった程度の認識しかもっていなかったように思えます。その結果、「死と向かい合う」ことのみに目がいき、柔軟性を欠いた精神という、いわばミクロ的な方面に関する考えはまったく出てきませんでした。

 このため、

この作品で描かれていたのはむしろ、幸福な日常が脆くも崩れさったあとに残る心の葛藤であり、そこから引き出されるテーマは、「心の安定」であると考えます。

という文を拝見したときには、思わず膝を叩きました。まさに、蒙を啓かれた思いです。

 なお、一言だけ付け加えますと、私も「精神崩壊」というシナリオを一瞬思い浮かべたのは事実です。ただし、それは春菜シナリオ。春菜は、彼女なりの方法で、必死に「平衡」を維持しようとしました。分裂症にもならずにああいった方法が取れるのか、といったツッコミは「やってはいけない」、ということにしておきましょう。

 で、春菜の場合、「彼女なりの方法」を長時間維持していたものの、最初の時点ですでに「私も親しい人を失った」と主人公に告げています。状況的に、なぜ主人公という人間に対し語るという形を取ったのかは不明ですが(たぶん説明できないでしょう)、とにかく「彼女なりの方法」は、ほつれを見せています。そして、何度も主人公と出会う過程で、それが一気にほぐれます。春菜の中では、主人公が(彼女から見ると)現実を見据えている人物であり、それゆえに彼に対して「救いを求めた」面、そして、姉とともに過ごす過去に閉じていく面とがせめぎ合っているわけです。そんなことを思いながらプレイしていく中で、主人公の一撃が最後のダメージとなり…という、考えてみれば相当に鬼畜なエンディングを探したのも事実です。実際には、彼女のシナリオに入った時点で、ほとんど選択肢はないんですけれど。

 

 このゲームが示している「テーマ(主題)」(私は、しばしば「メッセージ」と非常に近い述語として用いています)が何か、という視点で見ると、それを探すこと自体が著しく困難であるのは確かでしょう。「心の安定」という、いうなれば「平衡状態」へとゆるやかに安定していく過程を描くというのであれば、本来であれば、シナリオ的にキーパーソンと目される久遠のシナリオにおいて、それが語られていなければならないはずです。従って、Ken個人としては、「ゲームとして」評価を高くすることはできそうにありません。

 「ゲームの中から(任意に)引き出したテーマ」としては面白いですし、個人的には非常に良い刺激になったのは確かですが、『Alive』のシナリオが、その内部で、詳細な分析に耐えるだけの構造(あるいは物語)を成しているとは言えないでしょう。

 シナリオ以外の面では…まぁ、言わずもがな、でしょうか(^^;)

 

 以下、個別のお答えを、ちらほら。

 

「ONE」については、「ゲーム別」で書かれている内容について色々伺いたいので、機会を改めたいと思います。

 『ONE』は、かなり表現の仕方において自主規制している部分もあるので、今後どうしようかな、と考えながら今日に至っています(^^;) 逃走、あるいは発狂という言葉で済むのであればまだいいのですが、根元的(ラディカル)に「存在」認識を『ONE』から構成しようとすると、単にプレイヤー批判で終わるものではなく、「狂気」を疎外することで辛うじて「秩序」ひいては「存在」を認められるという、現代に対する痛切な皮肉をも感じるのですが、敵を増やすどころか身の危険も感じる(^^;)ので、あまり具体的には詰めていません。

 それはさておき、『ONE』の最大の問題点は、考えさせるゲームという位置づけが可能であるにも関わらず、受動的に楽しみを求めるプレイヤーをも(ある程度)受容可能になっていることでしょう。セールス的にはなかなか憎い方法ではありますが。

 

「雫」は「現実への皮肉」の強さが半端ではなく(沙織バッドエンドのこと)、そのことがわかる人が多数存在するのであれば、「Alive」など足下にも及ばない作品なのですが、たとえこの作品が一般受けしたとしても「考えることを放棄した」人が群れをなしているだけのようで、高評価をつけるのが怖かったりします。(←敵を増やしそうな危険な発言)

 『雫』のシナリオはリーフのオリジナルではなく、元ネタ(小説)があるそうですが、いずれにせよ、鮮烈なエンディングを用意することで「比較」が容易になったのは、ゲームなればこそであって、やはり相当にすぐれた作品と言えましょう。この作品がどの程度一般受けしているのかはわかりませんが、ビジュアル的に印象づけるシーンでの「毒」が強すぎ、それがテキストのもつ力をかえって霞ませている印象があります。個人的に、さほど高い評点を与えていない理由は、実はここにあったりします。もちろん、事実上セーブができないなど、使い勝手の悪さももちろんありますが。

 おっとっと、話が逸れてしまいました。「考えることを放棄した人」が「持ち上げる」となると、その人にとって、作品の世界がその人にとって非常に都合の良い形で再-構築(脱-構築にあらず!)されてしまうことになりますね。新掲示板でも話題になっていましたが、その「再-構築」によって自分を満足させるという作業は、その中に自己を投影して満足を得ることに他なりません。要は、ナルシシスムが分かち難く付随してくるわけです。エンターテインメントとして、そういった役割を担うのは、ポジティブな意味合いももちろん持つのですけれど、「与えられた世界を楽しむ」というだけではなく、考えさせるゲームというのも確実に存在しますからね。

 

これはどの曲でしょう?

 「崩壊の旋律」です。これをゲームの中で、という度胸が印象に残りました。シーンに合っていたかどうかはまた別問題ですけれど。

 

 最後に、日本の美をこよなく愛した今世紀最大の知識人の一人、アンドレ=マルローの言を借りておきます。

 「人間は己の姿を、知見を増すことによっては、見出すことはできない。彼が己の姿を発見するのは、彼が提起する課題の上においてである」

Ken 拝

2000年2月14日

「私の一言」トップページへ


[レビューページへ] [レビューリストへ] [トップページへ]