Silver Moon R.A.N Software

1999年2月11日発売
ご意見などは掲示板へどうぞ

 掲示板の方に寄せて頂いた、Q.Rさんの『Silver Moon』(R.A.N Software)感想を、以下に転載させていただきます。視点を変えれば異なる結論が出てくるのは当然ですし、さらに「異なる結論」それぞれが一定程度の説得力を持っているという場合、作品が生み出す「意味」の深さを示していることに他ならない、という気がします。
 私が書いたレビューとはいろいろと対照的なご意見ですので、なかなかに興味深く拝読いたしました。

 NIFTYのFCGAMEXにおいて開催された1999年ベストXゲームにおいて、惜しくもベスト10 は逃したものの11位と多くの支持を受けたこの「Silver Moon」。さてその感想は。


◎テキストと画面設計
 ゲームとしての難易度は低く、ゲーム性よりも物語性を主たる目的としています。そのような構成にもかかわらず文章は明らかに推敲不足であり、プレイヤーの注意を物語からそらしてしまっています。また「、」のみで「。」や「…」を使わないという実に独特な文章ですが、そのことにタイポグラフィとしての意識が見えるわけでもなくただ書き手の癖としか思えません。特殊な用法を用いる際、それが受け手にどのような効果を与えるかについてあまりにも無自覚ではないでしょうか。
 画面表示については、メッセージウィンドウ上部にフェイスウィンドウとネームウィンドウが画面外左側からスライドしてくるのがどうにもうるさく感じらます。ウィンドウが動くこと自体に何らかの意味が感じられるならともかく、そうでないならばフェイスウィンドウを固定しその中で表情を変えたほうがプレイヤーをゲームに対して集中させる意味でも有効でしょう。また、「MESSAGE CONSOLE」などという文字を表示する必要があったのかという疑問もあり、メッセージウィンドウの幅を縮めてフェイスウィンドウ等のスペースを作った方が良かったと思います。

◎シナリオ
 巴シナリオ以外のハッピーエンドは、絆が深く相手への不安を感じることが暴走のきっかけであり、また少女達がその不安を払拭することが別離へとつながります。巴シナリオでは、自分が残される恐怖がトリガーであり、それまで主人公自身が残される側の当事者としての恐怖を感じていなかった事が露呈していますが、描かれるのは巴側の克服のみです。
 このように別離の際、安心するのは死にゆく主人公側であって残される少女側の心には割り切れないものが残ります。それ故にこそ再会→少女の心の癒やしというエンディングが用意されているのですが、しかしここでもまた主人公が運命を背負うことが必要になります。
 主人公が天才であるという設定は、このエンディングにおける厳しい運命の緩和が目的であったかのように思われますが、むしろ凡庸な主人公であった方が少女達への愛の大きさを表現するには効果的だったのではないでしょうか。

◎主人公/日吉 亮
 知的能力においては天才とされていますが、精神面においては幼さが残っているように見受けられます。これはGEOにおいて感情生活が存在しなかったことが原因でしょうが、彼自身そのことを自覚してないようにみえます。
 GEO卒業後も他者と積極的に関係を持とうとせず外部を疎外しているようにみえますが、むしろ関係を築くことを怖れているのでしょうか。少女達との関係を通しても彼の心が外に向かって開くことはなく、最終的に彼の行き着く先は「消滅」か、それとも社会から絶対的に疎外された「超越者」でしかありません。社会内の存在でしかあり得ない「少女」との再びのそして永遠の別れの後、永久とも思われる時の中で彼は何を思うのでしょうか。

◎結び
 こうやって感想書いてみると、女の子よりも主人公の印象の方がつよいなぁってつくづく思います。女の子はみんな可愛いし、シナリオもそれなりにいいんだけどエキセントリックな主人公についつい興味がいってしまいます。この辺はゲームのっていうよりもプレイヤーの問題なのでしょう。
 ただ、少女側の心理の動きがお約束のパターンにはまりすぎであまり深みを感じられなかった、ということはあります。文章の問題ってのが多分にあったような気もしますが。
 全体としてみれば、物語内で全てをきちんと説明しているし良くまとまっているのですが、むしろそのように論理的に詰めていることが見えてしまう分、こじんまりとしてしまったようにも思えます。
 見るべき点もあるけど引っかかる部分も多いので、私的にはやはり佳作どまりでしょうか。

文:Q.R(GZX01017@nifty.ne.jp)さん


 ゲーム全体をパーツごとに分けて語っておられます。ゲームそれ自体が物語世界を呈示するタイプのゲームであり、なおかつマルチシナリオではない(各シナリオをプレイしていくごとに物語の重層性が呈示されていくというものではない)のですから、アプローチの方法としては、これが十分に妥当なものと思えます。

 さて、「テキストと画面設計」のうち、テキストに関しては、私もまったく同感です。敢えて付け加えれば、習熟していない用語を無理に使おうとし、抽象語句に振り回せれている観がある点、修飾-被修飾などがみごとにズレている点なども指摘できましょう。
 画面設計については、「MESSAGE CONSOLE」など不要且つ冗長な装飾(?)はさておき、フェイスウィンドウが「動く」ということが、会話の当事者であるキャラクターが入れ替わっていることを明示的に示すため、音声がないゲームであるための工夫としてタイムラグを設ける、そのために「ぬっと出る」ことの効果を考えたのだろう、と思っていたものです。もっとも、音声付きの『Rainy Blue』でも同じコトをやっているので、これは考え過ぎだったのでしょう。

 さて、メインというべき、「シナリオ」および「主人公」ですが、私の視点とは明らかに対照的ですね。私は「キャラゲーとしての評価に留まらざるを得ません」と、かなりキツいことを書いてしまいましたが。

このように別離の際、安心するのは死にゆく主人公側であって残される少女側の心には割り切れないものが残ります。
 主人公視点で勝手な話が進んでいる、という見方が可能ですが、少女側から見ると、「運命」の一翼を担う必然的な根拠は明確ではなく、従って「残される」という側面のみがクローズアップされますね。この点、私はやよいのシナリオが一番マトモと思っているのですが、そうすると、精神的に幼さを強く残す二人…というシナリオになるわけで、それがいくつも並んでいたりしては見苦しいことこの上ありませんね。レビューでは「全キャラがやよいなみの存在感になれればベスト」などと書きましたが、これを文字通りに実行すれば、読むに耐えないシナリオになりそうです。

 主人公に関する論考については、何よりも、彼がいったい何を望んでGEOを出たのか、という、根本的な所で欠落を感じる(彼が「望んだ」ものを、GEOの外において、ピアノ演奏以外の面で探求・模索していた形跡が皆無である)ため、あまり踏み込んで考えようとは思いませんでしたので、なるほど、こういう見方もあるか、と感じました。

少女側の心理の動きがお約束のパターンにはまりすぎであまり深みを感じられなかった、ということはあります。文章の問題ってのが多分にあったような気もしますが。
 心理描写が「目に見える」形で出されていたため、主人公のみという「一人の世界」だけで話が作られているわけではなかったですね。演出面が「もの悲しさ」をうまく盛り上げていたことも相まって、逆に、心惹かれるほどの「強さ」がなかったのは確かでしょう。
 そして、複数のエンディングを用意しているにも関わらず、心理面での意外さがほとんどなかったため、かえってうざったさが後々まで響いてしまう結末になりましたね。

 かえすがえすも、テキストのひどさが惜しまれる作品だと感じます。もっとも、NIFTYあたりでは、このゲームに対して「文章が上手い」と評する向きもあって、大いに驚いたものですが…。

Ken 拝
2000年3月18日

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