2001年8月の戯れ言


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過去の「戯れ言」

8月28日(火)

 ゲームを買う金がない、というのであれば、買わなければいいだけのことなのですが、ハードディスクがいっぱいになってくるとそうもいかず、収入が確保でき次第、ぼつぼつ仕入れたいなと思っております。MOとCD-Rとを使っていれば大容量のものは特にいらんと思っていたのですけれど、やはりゲームのディープなプレイヤー(←どうやったって言い逃れはできん…)にとって、総容量15GBというのはやっぱり苦しいものがあります。CD-Rに焼いたデータなどはどんどん消してはいっても、何やかやで「常にアクセスしたいデータ」は残しておきたいものですし…なんてことが積もり積もって、圧迫しているわけで。

 

 私は、「戯れ言」などのテキストを書いているとき、ゲームのBGMを流していることが多いのですが、実際にはヴォーカル曲というものはオープニングやエンディングのテーマソングとして使われるケースが大半で、「BGMとしてヴォーカル曲を流す」という事例はほとんどありませんね。私が把握しているのは、『メロディ』におけるこずえシナリオの一シーン、および『聖魔大戦』裏ルート最終段階で、それぞれ流れるくらいで、あとは思い浮かびません。音声つきのゲームが増えているということもあるのでしょうが、これは、というシーンで声付きのサウンドが流れるのは効果抜群となるケースは充分にあります(少なくとも上二つのゲームについては正解でした)。主題歌として用いるだけでなく、ピンポイント的に使うと良いと思うのですが、あまりこういう要望ってないのでしょうかね。

 あ、『WHITE ALBUM』があるじゃん、といったツッコミは却下ね(^_^;

8月27日(月)

 『闘神都市2』のリプレイ、いつになったら終わるのでしょうか(^^;) いわゆる「紋章モンスター」のうち、白淫狂鬼だけは倒したものの、これ以外は撃退されてばっかなので、まだまだ修行が足りないようです。おまけに、忌まわしきオプション食いにお供をさらわれたりと、煮詰まってきております。やれやれ。

 

 先日、掲示板で「あるテーマに即して包括的にゲームを論じられるほど「若く」はなくなってしまったようです」と書いたところ、そんなことはない、この「戯れ言」でも、自前の意見を綜合的な結論を導出する形で援用しているではないか、といったツッコミを(メールで)いただきました。もっとも、理論的な後付けを背景としているものではなく(テクスト分析の方法論など私はド素人ですし、コミュニケーション論も専門家の助言等をほとんど得ていませんし、いずれにせよ雑学の延長に過ぎません)、そこまで言えるかどうかはなはだ怪しいように思いますが、それはともかく、仮に意見の展開を理論的になし得るものとした場合であっても、私はその「論理性」に対し、自分のテクストを依拠させようとは考えておりません。

 自分の理論ないし意見に説得力があるからといって、それを現実に対して直接に適用して説明するのは、非常に危険を伴います。もちろん、そういう姿勢の背景には、「説明」しようとする対象自体を貶める魂胆があるがゆえのみにくさが潜在している面も見逃すことはできませんが、それ以上に、「理論・意見」の「論理性」のみが暴走することに力を貸しかねないことの恐ろしさをこそ、見逃すべきではないでしょう。

 端的に言えば、「論理的」であれば、それなりに説得力を増すものの、それは結論の妥当性を直接に担保するわけではない、ということです。論理が正しければ帰結が正しい、というリクツをそのまま鵜呑みにする人はいないでしょうが、専門家のもっともらしい説明を「正しいモノであろうと好意的に受容」することは、よくありがちな話なのではないでしょうか。そしてまた、そういう時に「善良なる小心者」の立場を取れば、積極的集団主義(ファシズムが好例)へという流れを止めることもできないことも、充分にあり得る話でしょう。

 柔軟性なき「批判」は、空虚な自己満足以上の結果を生まない点も加え、「論を読む」ことを軽く見ないようにしたいものです。そしてまた、テクストが「批判」を受けることを覚悟しながら、自分の中から発するものを出していきたいものです。WEBという空間は、「発する」ことを大衆化してくれた一方で、「受ける」=読むことの意味もまた変えたことは間違いないのですから。

8月26日(日)

 野暮用はさっさと終えて、未レビュー作品を処理…などと思っておりましたが、なかなかうまくいかないもので、結局今日に間に合ったのは一つだけというありさま(^^;)

 『闘神都市2』の方も書こうと思ってはいるのですが、なにぶんボリューム面で壮大なので、いつになったらまとまることやら。昨年リプレイしたものの、シードのレベルを上げすぎて葉月を模擬戦で瞬殺してゲームオーバーとか、鈴夜を追いつめずに雫姫を解放すると殺されてゲームオーバーとか、なんだか「やっとれんわ」状態になって放り出しておりました(爆) 気を取り直して「無理のない程度の悪人モード」でプレイし、現在はマイホームで大量のモンスターを囲い込み中(^^;) イモ洗い状態での「我が家」で「えへへ。」なんてやってるシードを見ているとこういうのがオレの本性なのかも知れんなどといらんことを考えたりしております。

8月23日(木)

 当サイトも、この22日で二周年を迎えました。開設当初は、自分の根気などを考えれば「長続きすることはまぁないだろう」と思っていたのですが、とにもかくにも続いて参りました。一時期の「毎日レビューアップ」などというトチ狂ったようなパワーはカケラもなく、月にレビューを一本書ければいい方という現状では、活動状態であるというよりは「休止状態ではない」程度と見るべきかも知れませんけれど(^^; ともかく、「見て下さる方」がおられたがために、あれやこれやと書きつづることができたのは間違いありません。どんな方が、どれだけの回数、どれだけの頻度でご覧になってくださっているのかはわかりませんが、「視線」の重みが、このサイトを運営するにあたっての原動力の一つとなってきたことは間違いありません。ご愛顧ありがとうございます。これからもよろしく。

 

 ゲームに充当できるような金は手元になく(いつ何時交通費等が必要になるかわからん状態なので)、必然的に積みゲー消化…とはならず、なぜか古いゲームをリプレイしたりしております(^^; ちまちま再開しているのが『学園King』(アリスソフト;『アリスCD』Ver.1.0所収)。こういうわけのわかんない異世界に浸るのも面白いと思う反面、「世界」を人間(キャラ)「が」作っていくことを改めて感じます。名作でもないし大作でもありませんし、本来ならそれなりに濃いはずのメインヒロインが「もっと濃い連中」の中に埋没してしまっているというシロモノなので、キャラ「を」立てる作品が多い今から見れば、古くささは否定できませんね(「古い」ことが悪い、というのではありません。流行に合わないというか、当世風でないというか、そんな程度の意味です)。

 いまだに書いていない『闘神都市』シリーズも含めて、アリスソフトのレビューをまとめてアップしようかなどと考え中ですが、「語るね、俺」の充実も宣言してしまったのに、大丈夫なのだろうか(^^;

8月12日(日)

 積みゲー消化が順調に進行…しているはずもありませんが(^_^;)、この週末はのんびりさせてもらうことにします。週明けからは盆休み返上になることはまちがいない上、このあたりで休んでおかないと精神的にもたない可能性もありますし。巷ではイベントその他で大忙し、という方も多いようですが、当方は自室でのんびりお茶でも飲みながら本をパラパラめくったり、といった状態です。

 

 『みずいろ』をプレイして思ったことですが、やっぱり私は、フィクションの中に、その世界なりのリアリティというものを求めているようです。もちろん、フィクションそれ自体が「世界」を融通無碍に動かしてしまうタイプのゲームシナリオも存在します(『メロディ』や『SPARK!』がこれに近いでしょう)。しかし、それも含めて、「生きている」フィクションに対し、より「楽しむ」ことができる、とは言えましょう。固定化されたフィクションに対しては、それが「消費」対象の実像であると眼前に突きつけられているような感じもあってか、傍観するに留まってしまうようです。

 一言でいえば「合わなかった」となるのでしょうか。良くも悪くも、一切の衝撃を受けることなく、記録されるものの一つになってしまいました。

8月5日(日)

 世間は『君が望む永遠』(アージュ)に大わらわのようですが、当方は掲示板で書いたような経済状況ゆえ、とうてい趣味に金を出す余裕がありません。そして、現実問題として「買えない」となると、面白いように現実をクールに見ることができるようになり、多数の作品が発売される様に悲鳴を上げている方を見ても、羨ましいという気持ちにはならず、むしろ「そんなに焦ってどうするの?」などと思えたりするから不思議なものです。発売される本数と買える本数とは基本的に反比例するわけですが、買いたいという意欲はまた別だったのですが、このあたりはブドウを欲しがるキツネのようなものなのか、はたまた純粋に冷静になれる程度になっているのか。おそらくその両方なのでしょうけれど。

 

 もちろん、このサイトはレビューサイトですし、サイトを続けていくためにこれからもゲームはやっていきますけれど、どうせ積みゲーはぎょうさんあるので(^^;)時間的・精神的余裕ができれば問題ありませんので、ご安心下さい。メールのお返事等も早めにできるような状態にはなっておりますし。

 よく「高望みしなければ就職なんてどっかあるさ」などと言われるのですが、どうも自分に適合する職種を見つけること自体が大変のようで、「失業者への道」驀進中というのが実情です。名実ともにフリーターになる日も近いのかも(^^;

 

 先日、私のサイト(の旧バージョン)とデザインが似ているサイトがある、というご指摘を掲示板で受けましたが、別に構わないと思います。自分が「表現しようと意を注いだ対象」および「その結果」に関するものではなく、漠然とした「対象/結果」が似ているからといって、別段気にする必要はないでしょう。剽窃などといった仰々しいものではなく、好ましいと思えるアイディアを導入すること自体には、是も非もないと考えます。

 しかし、「表現しようと意を注いだ対象・結果」となると、話はまた違ってくるでしょう。私が運営するサイトの一面であるレビューページについては、そういう経験はありませんが(まぁ、主観を正面に押し出している以上、パクったところで面白くも何もないでしょうから)、もしそうだとすれば…と考えたことは、確かにあります。しかし、実のところ、特にテキストに関しては、考えてもあまり意味がないし面白いものでもないのでは、と考えます。

 それは、「似てる」と評価されることは、オリジナル(と思われる)である先行者、あるいはそれの表現結果に関して見ることは必ずしも必要とはしないのであり、むしろ、パクリ(と見えなくもない)をした後行者の「表現」に対する「評価」である、ということに注意するべきでしょう。すなわち、表現内容・形態のタイプを論じることはさしたる意味を持つものではなく、むしろ後行者が「表現」をいかなる「意を注」ぐことによってなしたか、に起因するのではないか、と考える方が妥当でしょう。

 そうすれば、表現の「結果」が、どのように評価されようと、表出された結果については、表現者は批判を甘んじて受けねばならないことに代わりはない(これは、いかなる形態であれ、「表現」したものの責務でしょう)以上、似ているかどうかといったことを第三者が語ることには、どう見たって建設的なものを見出すことはできそうにないと判断されます。

 結局のところ、表現者の「心構え」やら「度胸」やら――心理的動機、とでも言えるでしょうか――に尽きることであり、それによって表現者がどの程度満足しているのか、それによって判断されるべきでしょう。これは、最終的には、先日書いた「批評には「自分」を見る目こそが必要」という意見と重なってくるようにも思えます。

 そしてまた、自分の発言なりアイディアなりといったものが、どの程度「オリジナル」であるか、と問われた場合、胸を張って「しかり」と答えられるケースなど、そう多くないのが実情でしょう。どこかで見たり聞いたりした情報を、自分なりに再解釈して導入していることの方が、むしろ多いと思います。それは、自分「以外」の情報を自分の中に「導入」することに成功しているという「柔軟さ」の現れでもあると言えましょう。

 そんなことを考えれば、似ているとか似ていないとか、そんなことを論じても意味ないしつまらんし、という気になってきます。性質上「パク」られる機会の少ないテキスト系サイト(としての面が強い)管理者であるがゆえの楽天論なのかも知れませんけれど。

8月2日(木)

 昨日の某説明会にて、

 ウチは試験で昇進していく制度を導入しておりますので、性別・年齢・学歴による一切の違いがないように、結果を具体的に出すことで昇進が保証されます

 この言葉をどの程度まで信頼して良いのか、と思ったものです。なるほど、<制度を導入>している結果、性別・年齢・学歴といった要素は、判断材料としてのウェイトを下げているのは確かなのでしょう。しかし「一切の違いなく」などとキラクに断定されては、聞く方は十全の信頼を置くことは無理です。「絶対安全です」という言葉をそのまま信じろといわれても無理であるのと同じ。それに、そもそも「違いがないように…保証」というのは、消極的差別排除(性別・年齢・学歴による差異が、直接影響することを禁じる)と考えるのが自然なのでしょうが、文言だけでは、積極的差別排除(性別・年齢・学歴による差異を生じないような措置を積極的に講じる)を期待されてもおかしくはないでしょう。「違いがないように」という言い方は微妙なものがありますが、口頭で発せられた言葉であることを考慮すれば、「違いが生じないように」に近い表現であるという解釈には、そう無理はないはずです。

 説明会において、一堂に会した参加者に対して行う説明としては、ずいぶん不用意な発言と言わざるを得ません。この後、質疑応答はありましたが、そこは所詮弱い立場の人間、(私も含め)誰もツッコミは入れませんでしたけれど、この職場大丈夫なんかいな、と考え直した人間を最低一人は増やしたことは確実でありました。

 それ以前に、こんなことを考えたりしているから、面接で落とされるんでしょうね(^^; でも、年齢は下げられないし、学歴も戻せない以上、ひっじょーに気にかかるトコだったんですよ。

 

 『水素』レビューの末尾、「バッサリ全否定することはできないといった程度の魅力がないこともない」という記述が長くて読みにくい、というご指摘をいただきました。確かに。まぁ、「ちょっとは魅力もあるんだよ」ということを、これ以上ないほど消極的に主張するために取った表現なのですが、さすがに四重否定はまずかったですね。

 現代標準日本語では、二重否定は原則として「弱い肯定」を意味します(注)。例えば「楽しくないこともない」といった場合ですね(なお、二つ目の否定辞の前に強調の副詞を添えることで、「強い肯定」になります。「楽しくないはずなど断じてない」など)。したがって、四重否定は二重否定の自乗(なんだそれは)となって、「非常に弱い肯定」となるわけです。

 とまぁ、意味的には明快なのですけれど、スマートな表現とはとても言えませんね。意識的に鬱陶しく書いたものならともかく、そうではないので、まだまだ修行が足りませんな。反省、反省。…それでも、ゲーム本体のテキストよりはマシだと思うが(^^;

(注)「二重否定=肯定の意を強める」といった表現で解説している辞書なども散見されます(三省堂『新明解国語辞典』など)が、否定の意が二重によって肯定に再び転じるに過ぎず、単純肯定によるものよりも肯定の度合いをより薄めたことを強調する表現、と解する方が妥当です。確かに、単純肯定よりも肯定の度合いが強くなるケースもありますが、その場合は上述のように副詞が付随します。

8月1日(水)

 どうしてこうも暑いのよ、と、濃紺のスーツに汗をダラダラ流しつつ、都内を東へうろうろ西へうろうろ。雨よ降れ降れと言ったところで、降れば降ったで土砂降りだし、今年の夏はあまりにも変です。昨日に至っては、炎天下を歩いている最中、気分が悪くなり、最寄りのコンビニで休ませてもらうという失態を演じました。我慢していたら熱中症になっていたかも知れません。皆様も、外を歩くときはご注意下さい。

 もっとも、酷暑の最中であってもスーツを着ないと面接させてくれないという「異様な慣習」にこそ問題があるのですけれど、「ノーネクタイで面接を行います」といった通知の類は未だにお目にかかったことはありませんね。やれやれ。

 

 ここ最近、「言説」の力に関してあれやこれや書いておりますが、実際のところ、「書く」際に、いちいちそういうことを気にしながらペンを手にしているわけではありません(そんなことしてたら何も書けません)。しかし、自分の発言なり意見なりが「説得力を持つ」ように心がけることは、大事でしょう。そのためにも、自分の「論」に対して、一定程度忠実であろうとする姿勢を示す必要がある、そうすれば無用な縛りをもたらさないためにも暴走しない「論」に至る…まぁ、こんなところでよいのではないかと思います。

 どなたのご発言だったかよく覚えてない(一目も二目も置いている方だったことは間違いありません)のですが、「俺たちは決して自由ではない。主張した過去、それがある以上、縛られざるを得ないのだ」という名言があります(繰り返しますが、私の発言ではありません)。そんなものでしょう。逆に、そういう覚悟を決めた上で発した「ことば」には、相応の重みが残り、そして情報としての価値も増す、といえましょう。

 方法論がさして確立しているわけでもない「批評」において求められるものは、他者の企及する能わざりし著述を目指すことなどでは決してなく、「自分」を見る目なのではないでしょうか。もちろん、「方法論が一定程度すでに模索されてきたもの」となるとまた違ってきますけれど、例えば文芸批評の方法論などを私がなるべく避けていることは、今までの駄文の山をご覧頂ければ一目瞭然でしょうし(^^;

 あとは、ある程度開き直って、読む人に「つけいる隙」をほどほどに残しておけば、ツッコミを入れることもできますね。ガッチリと緻密な論によって組み立てられた批評は、それ自体を論文として評価する場合はさておき、一般的に「内容を読者の主観と照合する」といった姿勢で読まれる場合においては、ある程度の「アソビ」がある方が、より発展的なものを生む可能性が高いのではないかと思います。ツッコミがどのように入るかは、正直ちょっと怖いものもあるのですけれど、ツッコミ上等ケンカは買うたるといった姿勢でおります。まぁ、掲示板のタイトルからして、友好親善を第一にする一般的なモノからかけ離れているので、こういう姿勢を真似ると(一般的に)どういう結果になるのか、私は知ったこっちゃありませんけれど(^^;



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