2001年11月の戯れ言


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過去の「戯れ言」

11月28日(水)

 なんだか固い話が続いているので、気分転換ということで、これまでの掲示板での発言数を発言者ごとにまとめてみました。過去ログとして登録されている900発言分です。なお、一人の方が複数ハンドルを使っている場合は一つにまとめ、またミスによる二重書き込みなども入っています。

 発言数イコール交流度というわけではもちろんありませんが、人を人とも思わない管理人(笑)にお付き合い下さっている皆様、ありがとうございます。

順位ハンドル発言数初書込日
1Ken2842000/2/1
2BGMmasterさん1142000/2/1
3KO-1さん482000/4/21
4akitoさん362000/11/29
5兄貴さん352000/2/2
6そとみち.さん282000/2/3
7EP−ROMさん272001/9/12
8鷹月ぐみなさん262000/2/2
9獅剰烏丸さん242001/3/2
10のりさん212000/3/19
11Q.Rさん192000/2/13
11上野良樹さん192000/2/23
13麦星さん172000/5/19
14蓼原シュンさん162000/2/1
15GUSTAVさん132000/2/11

11月27日(火)

 またまたしつこく『Sense Off』ですが(もっともとうにプレイは止めていますが)、いろいろと興味深いご意見を頂きました。ありがとうございます。また、20日の引用テキストが見事に間違っているので、ここを修正いたしました。

 まず、「世界が数学に従っている事が実感できる」ことと、「世界が数学に従う事からまぬがれるすべを見出す」ことは、対立している概念ではないというご意見をいただきました。確かに、私の書き方だと、前者の記述が、世界全体が数学的支配に基づいていることを前提とすることそれ自体を肯定しているものに読めそうですね。いけないいけない。当然のことですが、数学が生み出す体系、そしてその中における真実について、否定するつもりはありませんし、意味ないでしょう。ただし、自然科学に立脚する世界観を相対化するという姿勢が『Sense Off』の中には(少なくとも私の目には)見受けられなかったのも事実なので、こういう愚痴まじりの説明になってしまったわけです。

 

 GUSTAVさんとは違って、私はべつに「2ちゃんねるウォッチャー」でも何でもありませんし、ゲーム系の板はあまり頻繁に見ているわけではありませんが、巡回するといつも見ているスレッドに「月陽炎スレッド」があります。そこのAA(アスキーアート。文字を使って擬似的に絵を描いたもの)に、双葉が「Grow Me」(『いいなり』の主題歌。I'veのCD「verge」に収録されています)を唱っているものがありました。曲自体も割と好きなのですが、この歌詞は割と独特で、思い人に愛を語るというのはパターン通りなのですが、それだけでなく「子どもが成長して大人を目指す」「追いかけるという点が強調されている」ということがあります。つまり、曲の主体が「子ども(=大人未満)」というのがすごいところです。こんな歌詞を入れたゲームっていったい何? と思いますが、メーカーはZEROだしねぇ(^^; それに、ロリといえば甘えん坊で依存心が強いと相場が決まっていますが、この歌詞にはそういうものはなく、割と気丈な様がうかがえます。これに当てはまるようなキャラって、実はほとんどゲームの中には見当たらないんですけれど、確かに双葉はよさそう。彼女以外では、『ロマンスは剣の輝きII』のリュキアぐらいかな?

11月25日(日)

 昨日のオフ会では、掲示板でお会いした方々と色々なお話ができ、非常に貴重な体験をさせていただきました。ネット上での「対話」と、実際に顔をつきあわせての「会話」との間には、やはり大きな違いがあるものだということを、あらためて実感した次第です。実際には、単なる秋葉原そぞろ歩き&雑談&呑みというものに過ぎなかったのでしょうが、WEB上での「対話」だけでは出てくることのなかったあれやこれやに触れることが出き、大変嬉しく思っております。

 

 『Sense Off』および同関連のメールのお返事ですが、数日程度遅れるかも知れません。なにぶん、かなり突っ込んだ内容のメールを何通もいただき、それはそれでありがたいし自分の考えを深めるいいキッカケにもなるのですが、いい加減なお返事はしたくないので、多少遅れるかとも思います。ご寛恕いただければ幸いです。

11月24日(土)

 昨日、サイト更新(FTP)を忘れていたため、結果として一日で二日分の「戯れ言」更新となってしまいました(^^;)

 そのついでといっては何ですが、個人サイトではデスクトップを紹介するということが多いため、私もやってみました。デスクトップはブルー無地で壁紙はおろかアイコンさえなく、ショートカットアイコンはタスクバー上に置き、常用アプリはたいていこれらショートカットアイコンで済ませています。この結果、スタートメニューに登録される常用アプリの大半がゲームとなり、その種のアイコンがずらりと並んでいるのがなんとも(^^;

 

 『Sense Off』との比較の意味も込めて『ONE』をプレイしてみましたが、XPではプレイ後数分で突然落ちます(エラーメッセージさえ出ず、CD-DA再生のみ)。互換モード(95)でプレイすれば一応問題なく進行しますが、終了するとエラーメッセージが出ます。実害はありませんが、ちょっと気持ちが良くないですね。それはともかく、CGのショボさは仕方がないところとして(これでハイカラーかい、という気はしますが)、シチュエーションごとに用意されたBGMはやはり絶妙ですね。BGMが切り替わることでシーンの雰囲気がガラッと転じるのですが、この効果は最近のゲームよりもさらにクリアに出ているように感じます。朝駆け出すシーンで「オンユアマーク」がかかると「ああ、朝だな」という気になります。曲単体で聴けば、サウンドのレベルが上がっている現在のゲームと比べて特段優れているということもないのかも知れませんが、ゲームを「作る」要素の一つとしてのBGMと見た場合、今年のゲームでこれに並ぶものはなさそうにさえ思います。もちろん、グラフィックの効果が弱い(暗転するなどは割と良し)ために引き立っている、という見方もできそうですが。

 このほか『Silver Moon』もXPでインストールしましたが、画面表示が乱れてとてもプレイできません。DirectDrawをオフにしたり互換モード(95および98/Me)にして起動したりしても同じなので、素直に9x環境でプレイするしかなさそうです。やれやれ。

11月23日(金)

 小春日和が何日も続くと、お天道様の恩恵を受けるのはいまだ、とばかり、あちらへこちらへと鉄砲玉状態。おかげでゲームの消化がなかなか進みやしません。この状態では、年内にゲームを買うゲームの数はかなり控えめになりそうです。レビューのリストをご覧頂くとおわかりの通り、それでなくとも今年のゲームですでに書いたものは少ないので、もっと頑張らないといけないのでしょうが。

 一般PCゲームのレビュー希望という声もあるのですが、シミュレーションゲーム等は先日大部分手放してしまい、いわゆる「ギャルゲー」が何本か残っているだけという状態なので、敢えて独立したコンテンツを設けるほどでもないかと。まぁ、PCギャルゲー自体絶滅寸前(苦笑)に近いので、気が向いたら書いてもいいかな。ちなみに現在、某一般ゲームがなかなかコンプリートできず、ちょっと疲れてきています。

 

 『Sense Off』を確認の意味も兼ねてちまちまリプレイしていますが、思ったことは、やはり『ONE』をプレイしたときのような「突き上げる何か」がなかった、ということです。もちろん、プレイした人によって大きく異なるのでしょうが。

 『ONE』の場合、設定の根幹部分に致命的な矛盾があり、従って合理的な世界構築が不可能でした。しかし、それがゆえに、そこで出されている「世界」は、多義的な概念による柔軟性を積極的に受容しているともいえます。

 一方で、『Sense Off』においては、合理的とはほど遠いながら、その世界においては、その構造をすべて語ることが可能であると前提されています。しかし、語ることが可能となる世界とは、拡散や逸脱に対する許容のない、そして非合理のもつダイナミズムを認めない世界であるとも言えます。いうなれば、非合理に対して、合理主義を呈示しているわけですが、『Sense Off』の世界では、その「反−非合理」のロジックが明確ではなく、むしろ合理的世界の構造がもたらす息苦しい(そしてまた、合理主義批判から生まれた非合理が指摘したところの)問題点をそのまま残存させている観さえあります。

 実は、プレイ前の時点で、ある方から「ポストモダン批判というメッセージも読み取れそうです」というメールをいただいていたのですが、これでは、プレ−ポストモダン(何だそれは)からの開き直りに等しい自己正当化に近いものでしょう。構造化された合理的な世界に踊るキャラクターには、生きている活動体の迫力が感じられず、どうしても「人工的」というよそよそしさは拭えません。

 少なくとも、非合理性を排除することの魅力なり理由なりが出されていれば良かったと思うのですけれどね。逃走の楽しさを高らかに語るほど私も若くはありませんが(苦笑)、『Sense Off』のような息苦しい世界はやっぱり嫌いです。もっと動いていたい。心理描写だけでゴリゴリ押し進めるといった手法を取っているわけではないので、評価はそこそこにしていますけれど。

11月20日(火)

 掲示板をごらんいただければおわかりの通り、OFF会を開催することに致しました。OFFの幹事というのは初めてなので、ちょっとドキドキしたり。日常の「私」は集団行動をアクティブに起こすタイプではなく、どちらかといえば集団の中にうねうねと入り込んでまったり溶け込むタイプだと思っているので(←正確かどうかはさておき)「さてどうしよう」状態になるかも知れません。

 「敵をつくる掲示板」も、板創設からすでに二年近くになり、発言数も900近くとなりました。ありがとうございます。何やかやで独特のコミュニティができておりますが、メンバーの「実態」(笑)はいったいどんなもんでしょうかね。

 

 『Sense Off』レビューの中で用いた「フッサール現象学」についての質問をいただいたので、私の知識の範囲内でお答えします。ただ、あくまでも「私の知識の範囲内」であって、これがどこまで的を射たものか、正直不安な思いも致しますが。本当はまるまる「これパクったろか」と思った入門書の記述があったりするのですが(^^;)著作権云々以前にフェアじゃないので、自分なりのイメージをもとに。お気づきの点があればご指摘ください。

 

 フッサールの「現象学」は、それを定義づけることは難しいのですが、その根幹にあるのが、客観と云い対象と云っても、それは「認識」が介在することによってはじめて存在する、いわば意識相関にもとづく存在に過ぎない、ということであることは確かです。近代哲学は、デカルト以降、「認識」される対象である「客観」の存在を前提していましたが、まずこれに異を唱えたわけです。つまり、「対象の存在」自体を保留し、主観−客観図式の相対化を図ったわけです。言い換えれば、デカルトにおいては世界は切り捨てられ、心理学的実体しか残らないとされたわけですが、フッサール現象学では、世界それ自体が(実在性については保留を受けるものの)主題とされうる、ということになります。

 この試みの背景には、哲学を中心とする「諸学問の再定義」がありました。近代自然科学では、世界が体系的な数学的法則によって支配されているという観念があり、実証による「客観的」世界が広まったわけですが、にもかかわらず、世界が本当にかかる法則に支配されているかどうかを証明することは不可能ですし、この「法則」の支配妥当性自体が「信仰」である、ともいえるわけです。自然科学における客観性とは、広範な人々に対して多くの事実を通じて説明可能であることを示す指標に過ぎないわけです。

 しかし、人が「真」であると確信するコトがある(「コト」は具体的事例ではなく、そういう時や場合がある、という意味です)ことは厳然たる事実です。それはどこに見いだせるのか。ここの説明を始めるとキリがないので端折りますが(説明できないというのがホンネですが)、「知覚体験」と「コミュニケーション」とによって作り出された<生活世界>にこそ、諸学の根拠がある、とフッサールは説きます。近代諸学を支えた「客観世界」も、すべては<生活世界>における要請によって作られた世界に過ぎず、世界像の原理的根拠は「知覚」に求められるわけです。そしてまた、世界を構成しまた改変しといった「運動」を不断におこなうダイナミクスを、後のメルロー=ポンティ(見方によってはドゥルーズなども)が掘り下げていきます。

 

 入門書としては、木田元氏や竹田青嗣氏が出しているものが読みやすいと思います。ただし、これら「読みやすい入門書」は、「わかったつもりになりやすい」という面もありますので、さらに興味を抱かれた方は、翻訳で出ている書物を読まれるのが良いでしょう。フッサールなら『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』(中公文庫)、メルロー=ポンティなら『知覚の現象学』(みすず書房)あたりかな。

 なんにしても、あるものを「おもしろそう」と思ったのであれば、もう少し突っ込んでみると、本当に面白くなるかも知れません。しかし、「おもしろそう」と思っただけで、それを信奉するのは非常に危険です。これは、哲学の学説自体はもちろんのこと、参考文献での記述(再解釈)に対しても同様です。衒学自体をネタにして笑って逝くのも一つのエンターテインメントではありますが、マジな顔で信奉することは「信仰」と大差ありません。

 ………と言うしかありませんね、十年前の私を振り返ると(^^;;;

 なお、『Sense Off』の一節、

けど、この世の中の物事がちゃんと数学に沿って動いてるんだと実感できた時は、凄くわくわくするよ

という点については、私は正反対ですね。むしろ、数学のように「問答無用なほど強い説得力を持つ原理」に対し、それからまぬがれるすべを見出すことができれば、これほどわくわくすることはないと思っています。

 念のために言っておきますが、私は数学の成績は他教科に比べるとマシな方でした(^^;

11月18日(日)

 昨日書いた「HDDの死亡」ですが、実は、電源コードがゆるんでいただけで、挿し直したら何の問題もなく動きました(^^;) いったい何やってんだか、私。

 

 『Sense Off』のレビュー、まとまらないながらも、一応上げました。特にハマることがなかった上、これ以上何度もリプレイする気にもなれなかったので。一応、クリアした後、成瀬と椎子だけちょっとやり直しはしましたが。

 このゲームのマニュアルには、21世紀固有の文芸形式としての美少女ゲームというシナリオライター氏の記述がありますが、これはいったい何を意味しているものやら、私にはよくわかりません。このゲーム自体は昨年(つまり20世紀)に出ていることを考えると「未来志向の文芸形式」となるのでしょうが、題材から(私が)読み取れたテーマ自体は手垢が付いた(しかし未解決の)ものであり、また「美少女ゲーム」に「固有」といえるスタイルを、このゲームが<先駆的に>実現しえたとも思えません。そういった<先駆性>とは、発表当時にはよりプリミティブに共感や支持を受け、後にそれが論理的に語られるようになったものが「後付けで」認められるものであって、目指したからといって実現するわけでもありますまい。あるいは、ゲームのプレイヤーを取り込む形で(つまり、非プレイヤーと断絶しているところの<プレイヤー>に)「固有」さを求めているのでしょうか。そうなると、要は、理論の消費によって自己承認欲求の発露を求める向きに対する、かなり斜に構えた皮肉なのかな、とも思ったりしますが、この種の論というのは、たとえ正鵠を射てはいても面白くもなんともないので、私は相手にしないことにしています(^^;

11月17日(土)

 どうやらWin98を入れていたHDDが死亡したようです。機械の電源を入れた後に「ギュルルン」という謎の音を発したので「あれっ?」と思ったのですが、その後SCSI-BIOSからしてHDDを認識せず、ましてWinXP(起動はしますしXPの使用自体には支障ありません)もこのHDDを無視、このためDドライブだけがぽっかり空いています。電源が入っていてもディスクが回っていないようなので、もう無理でしょうね。実稼働期間は4年程度と、さほど長くはなかったのですが、もう寿命かな。

 

 15日の本欄でフッサール云々と書いたところ、『Sense Off』にて描かれている「認識」は、身体および知覚を媒体としたものであり、したがって「身体としての言葉」と密接に関連している以上、フッサールよりは、メルロー=ポンティの論に近いのではないか、というご意見をいただきました。確かに、メルロー=ポンティ言うところの「始源の沈黙」に語らしめる契機としての「身体」の存在の重要性が、透子シナリオなどで暗示されていますね。もっとも、主人公とヒロインとが肉体関係を持つことが、転回の契機となっているケースが非常に小さいこと、そして「身体」を相対化することを積極的に是認する展開が珠希シナリオで見られることを考えると、このシナリオにおける「知覚」の意味は、必ずしも絶対的な意義を持っているものではないように思えます。むしろ、自然科学のもつ力を主人公が語るシーンなどを見るにつけ、「学問の客観性」を突き崩していったフッサール現象学の基本的な論点だけで、『Sense Off』における「認識」論の射程は収まってしまうように見えます。

 現象学という、今から興味深く取り組もうという気にはなれない、しかしそこで取り上げられた問題が未だに解決できていない命題を、この期に及んで出されても、あまりワクワクしないのが正直なところです。いえ、このゲームシナリオの「主題」を別の点にあると考えた場合はまた違うのでしょうし、また認識相対主義のロジックをニーチェあたりに求めればまた活き活きとした面が出てくるかもしれないのですけれど。

 また、これだけでは重大な誤解を招きそうなので補足しておきますが、私は『Sense Off』が哲学的命題を提起してそれについて考察させるタイプのゲームであると考えたわけではなく、むしろ構築した世界自体が、現象学の問うた命題を具現化し、それを登場人物に語らせている(セリフのみならず行動・結果等も含めて)と考えたに過ぎません。『Sense Off』をプレイするにあたって何らかの予備知識が必要と言うことはないと思います。

 ところで、タニシ君(笑)の能力って、いったい何だったんでしょうかね。べつだんシナリオの解釈に影響をおよぼすことではないのですが、どこにも何も書かれていませんでしたし。

11月15日(木)

 抱えていたバイトの仕事が一段落したため、これからしばらく積みゲー消化に勤しむことができそうです。もっとも、時間が本当に使えるとなると、ゲームなどやりたくなるかどうかわかりませんけれどね(^^;

 

 『Sense Off』(otherwise)を一通り終了しました。うーん、なんだかうまくまとまらないけれど、あまり肌には合わなかったですね。端的に言えば、フッサール哲学を蒸し返しているようで、100年くらい時計を巻き戻したような印象です。クールな文体は非常に読みやすいものですが、少なくとも「認識」がテーマの中軸の一つとなっているという前提で見る限り、いわば現象論の枠を見せているに留めている観があります。具体的に解きほぐそうとすると、どうにも当たり前の結論に行き着きそうで詰まらないし。

 レビューを書こうとしたものの、いろいろといらん雑念が入ってどうにも文がまとまらないので、しばらく寝かしてから一気に書くことにします(^^; ハマれなかった以上、握り拳を作りつつ語りたくなることもないわけですから。

 なお、これに続いてプレイを本格的に開始したのは、このサイトでは扱わない一般ゲームで、しかも結構やりごたえがありそうなので、しばらく更新が止まるかも知れません。

11月13日(火)

 SHEOさんのサイトで挙げられていた「エロゲサイト100の質問」というのが目に留まったので、私も手をつけてみました。どこまで正直に書けているかは自分でも定かではありませんし(Yes/No方式でない以上途中でトーンが変わっているかも)、なにより「プロフィール」欄やこれまでの「戯れ言」でかなり手の内を明かしている以上、目新しいことは特に何もないような気がします。まぁ、一応ちょっとしたネタという程度でしょうか。

 

 アクティブのサイトにアップされていた『めいっぱい☆あすりぃと』の体験版をDLしてプレイしてみました。スカートがまくれ上がって中のブルマが丸見えというのに引かれたとかいうのはさておき(^^;)カードゲームのようで、実質的にはUNOの変形版のような感じでしょうか。ちょっとやってみたところすぐにコツは掴めましたが、運次第のような気も。あと、曲は悪くないけど、ヴォーカルがどうにも今ひとつかな。

11月12日(月)

 WindowsXP導入後、ハード・ソフトともにいろいろとテストを行い、現在はかなり安定した環境を作ることができました。以前は使えなかったATA100ボードが、ふと思い立ってSCSIボード(二枚挿ししていました)の片方を外したところ、正常に動作するようになり、またひょんなことから20GBのHDDが転がり込んだこともあって、ATA100対応HDD2つを含め、しめて5つのHDDがミドルケースの中にギッシリ詰まる事態となってしまいました。高速HDDには冷却ファンを装着しているため、なかなか賑やかではありますが、さすがにこうなってくるとMOやCD-Rの出番が急速に減りそうです。

 

 WindowsXPについてですが、留意点としては、WindowsMeとWindowsXPとのマルチブートはできないということがあります。WinXPのドキュメントに記載されているマルチブート対象OSには、MS-DOS、Win3.1、Win95/95OSR2/98、WinNT3.51/4.0/2000がありますが、WinMeだけはありません。どうもメモリ周りで不具合があるようです。最新の(最後の)9x系OSがマルチブート非対応というのもひどい話ですし、Meと2000とをマルチで使っている方が「2000→XP」とできないというのは妙な話ですが。結局、現在の標準的なゲーム環境を維持しようとすれば、Windows95OSR2かWindows98を残しておき、マルチブートにするのが現実的でしょう(Windows95OSR1以前でも良いのですが、FAT32非対応のため、現在の標準的なサイズのHDDを使うには現実的ではありません)。

 また、「Windows95/98を最小構成で小さいHDDに入れたい」という場合もあるようですが、私が800MBのHDDにWindows98を入れ、後に10GBのHDDにWindowsXPをインストールしようとしたところ、XPはインストール済みの98を認識してくれず、このためにブート選択ができませんでした。ヘルプドキュメント等には記載はありませんでしたが、どうやらマルチブートが可能となるためには「WindowsXPをインストールできる程度の大きさのHDDにマルチブート対象OSが入っている」ことが前提になっているようです。このため、現在は4.3GBのHDDにWin98を入れ、次いで10GBのHDDにWinXPを入れています。

 「互換モード」については、操作そのものも割と面倒である上、もともとWin9x完全互換エミュレーションではないこともあって動かないものも少なくないので、ことXゲームについてはあまり期待しない方が良いでしょう。素直にマルチブート環境を作る方が良いと思います。

 

 あれやこれやで家を空ける日が多く、このためにサイト更新もナニもしない日が続いておりますが(^^;)今月末くらいには時間が取れそうなので、積みをある程度消化したいものです。

 先日書いた『Sense Off』は、引き続き透子をクリア。すでに珠季を終えた時点でエンディングの見当はついていたのですが、どうにも「認識」の使い方に若干の違和感が残るというのは相変わらず。まだ隠しシナリオのようなものが残っているようなので、こちらに期待すると致しますか。

11月4日(日)

 先日公開されたNetscape6.2をインストールし、動作テストを行いました。ひとまず大きな問題はないようです。先月9日に書いたなぜか文書本体(BODY要素)に背景色または背景画像をスタイルシートで指定した場合、スタイルシートを「なし」にしても、この指定のみが有効となってしまいますというバグが修正されている模様です。さらに、「簡易起動」という機能が加わり、要は常駐させることが可能となったわけですが、これのためにずいぶんと起動が高速になりました。日本語表示がやや弱い点は相変わらずですが。

 

 WindowsXPの方では、起動時にOSチェックが入り「推奨しません」と出る『SPARK!』が、割と重くなるものの支障なくプレイできるようです。しかし、『秋桜の空へ』(再販版。初回版は微妙に違うそうです)は「非対応OSです」と表示され、インストール自体が不可能でした。また、一般ゲーム『ハートフルメモリーズ』はインストールできても、起動後のメーカーロゴ表示画面でフリーズしました。

 ただ、気にかかるのは、私の環境では、CD-ROMの待機時間が長くなるため、特にCD-DAでBGMを再生するゲームの場合、切り替え画面で数秒間画面が無音のままで固まってしまうことです。気にしなければそれまでなのですが、雰囲気が変わる画面で「よいしょ」とタメを作ってから動くような感じで、あまりいいものではありません。Windows95/98ではキャッシュの値を上下するオプションメニューがありましたが、XPの方ではそれに相当するものが見当たらないので、仕方がないのかも。

 

 肝心のゲームについては、『Sense Off』(otherwise)に着手し(WindowsXPでインストール&プレイ、現在正常にプレイ中です)、成瀬→椎子→珠季→依子→美凪の順にクリア。現時点での印象としては、興味深い語り口である一方、冒頭から出てくる「認識」の用い方について、どうにも不十分というのか不親切というのか、というところですが、まだ透子をクリアしていないので、この部分の判断は後日の保留ということで。美凪のエンディングがそれまでの主要三キャラのものとはかなり違っているようですし(というか、これには面食らいました)。

 主人公の語り口が面白いですね。概念を規定する言語表現をその場その場で検索しながら(悪く言えば場当たり的に)表現するため、センテンスレベルでは一見論理的でありながら、前後の「流れ」を容易に掴ませないのが楽しい。説明口調ではなく、現状把握を試みつつ自分を納得させるという面をも持たせているわけですね。

 細かい設定については、純然たる文系畑の私にはさっぱり判らないネタが多く、「はぁ」としか言えないものだらけでしたが、「加速度を微分すると速度になったり」というのはナニ?(^^; おまけに、特に椎子シナリオなど、ライプニッツの使い方に若干の違和感をおぼえたこともあって(私にとっては「微分積分の創始者」よりも「モナド論・予定調和」を先に連想させる人物ですので)軽く流して進めてしまったのですが、本当はキッチリ読んでいくべきなのでしょうね。

 それから、BGMが素晴らしい反面(シーン切り替え間のギャップを多少感じた面はありますが)、個人的にはあのED曲が「合っている」ように思えません。なんというのか、一昔前のダンスミュージックのような曲なんですが、解放感を享受するタイプのエンディングではないと思えるだけに、ミスマッチという印象が強いのです。曲自体、好みから若干はずれているのも確かなのですが。



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