2002年3月の戯れ言


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過去の「戯れ言」

3月15日(金)

 見解が人によって異なるというのは当然です。そして、人と人との間で「建設的」(こういう抽象的な形容詞は濫用するべきではないのですが、一応わかりやすい表現ということで)な議論をしようとすれば、相互に意見を出し合い、それらを突き詰める、という手順を取ります。

 そしてまた、誰にとっても、各自の中に「価値観」「倫理観」というものが厳然としてありますし、それらは人格を形成する重要な要素ですから、他者は安易に論評するべきではありません。これをもとに相手を批判すれば、いわゆる「人格攻撃」に陥ることになります。ここまでは、誰もが承知していることでしょう。

 しかし、これの逆のパターンとなると、意外と「承知」されていないケースが多いように思います。すなわち、自分の論理・論拠を「価値観」に第一義的に帰着させ、相手に対して「そこに触れさせない」ないしは「触れても『自分は自分、貴方は貴方』と逃げられる」という手法を取ることです。しかし、例えば自分の中の「善悪」を「第一に措定」してそこから話を展開してしまうと、「自分としてはこういう結論になる」と言われても、相手は何も言えなくなります。すなわち、議論はそこでストップしてしまいます。

 こうならないためには、自分の中のよけいな「善悪」を捨象すればよいわけです。言い換えれば、自分の抱いている概念を相手のそれと比べて相対化し、いったんその枠組みからはずせば、議論が「最初からかみ合わない」ことはないでしょう。

 もちろん、自分たちだけで楽しいのだからそれでいい、という場合の方が多いでしょうが、それは単に「その場では議論が求められていない」というだけのことです。人と意見交換をする、感想を述べる、異議をとなえる、こういった行動を取る場合には、自分のロジックのみを追及しても、空回りするのがオチでしょう。

 「根拠があれば肯定される」という議論の危険性も、まさしくここにあります。

 

 かくいう私は、べつだん「人の言うことには耳を傾けるべきだ」といった殊勝な考えをもっているわけではありません(^_^; 単に、人の話を知れば自分が変わる機会が増えるし、それだけ楽しいから見たり聞いたりしているだけであって。

 こういう話に「〜あるべきだ」となると、肩凝っちゃいますからね。その人なりの興味の持ちようでいいと思います。強要や介入のないかぎり。

3月12日(火)

 新作を買う予定自体はまったくないのですが、『Wind』(Minori)のデモをダウンロードして再生してみると、「うまいなあ」としか言えませんでした。アニメーションのクオリティの高さを表現するすべは私にはないのですが、単なるキャラクター紹介にとどまらず、ゲーム世界を暗示する「風景」をうまく織り込んでいます。キャッチの声、きめの細かいグラフィック、ところどころ挿入されるテキストなどの調和が見事。作品を買うかどうかは別ですが、興味をひかれたことは事実です。路面電車が出てくるというあたりでまたツッコミどころ満載になりそうな気もしますけれど(^^;

 

 規模の大きいメールマガジンに「週刊ゲーマーズライフ」というものがあります。私も購読しているクチなのですが、最近はもともと新作に対してさほど食指が動かないこともあって、最近はあまり読んでいませんでした。そんな中、まだプレイ途中でレビューを書いていないゲーム『秋桜の空に』(Marron)が話題になっていたため、内容と直接関係ないと思われる部分にのみ目を通すと、こんな記述がありました。

ご承知の方も多いと思いますが、この作品はプログラムに多くの欠陥(バグ)を抱えてりリースされました。そしてこれに対して、見るに見かねたある人達は、全く正反対の二つの行動を取りました。

 

一方は、自らの手で、より安定した「互換実行プログラム」を作成し、公開しました。

 

もう一方は、自らのサイトの知名度を盾に脅迫めいた文章を掲載しました。

 

どちらがより良い結果を生むのでしょうか。

どちらがユーザーとしてあるべき姿勢なのでしょうか。

〜中略〜

しかし後者の行為からは何も生まれません。もしも少しでもメーカーや業界に対して好意を寄せる気持ちがあるならば、その点をきちんと考えて行動して欲しいと思います。もちろん、まずメーカーの対応に不備があった点は否めませんが……。

 ここで槍玉に挙げられた「知名度を盾に脅迫めいた文章を掲載」したサイトがどこなのか、私は寡聞にして存じません(私の定期巡回サイトではそういう動きは見当たりません)。したがって、そのサイトの取っていた姿勢が本当に目に余るものだったのかも知れませんし、あるいは筆者が過剰に反応しているだけかもしれません。しかしここではそれは問題にせず(しようがない)、上記の記述を一般論とした上で、思うところを書いてみます。

 

 まず「脅迫めいた文章」というのは、少なくとも私の読解力では意味不明です。「脅迫」は、対象に対して何らかのアクションを起こすことで成立するものであって、悪口を叩こうが非買運動を展開しようが脅迫にはならないでしょう。だいたい、公開してしまったら脅迫にはなり得ません。まあ、ここでは「誹謗中傷」といった意味なのでしょう。

 しかし、あるゲームに対して憤慨し、その感情を表に出すことが、本当に悪いことなのか、そして、そういう行動を取ること自体が「ユーザーとしてあるべき姿勢」ではない、と断じることができるのか。そう問われれば、私はハッキリと「否」と答えます。レビューサイトという、「商品(として公開された作品)をテキストという形で論ずる」サイトである以上、対象となるゲームを「好意を寄せる」ことを前提とする義理などありません。

 もちろん、そのゲームが大好きという人の心理を逆なでする可能性はありますし、人の見解を拒絶するかのような姿勢は慎重に排除されなくてはならないでしょう。しかし、それらはせいぜい発言者に対する信用、あるいは発言内容の説得力に直結するに過ぎず、「ユーザーとしてあるべき姿」なる「正しき規律」などに結びつけていいはずのないことです。

 かくいう私自身、相当に辛辣な言辞を用いて、手にしたゲームについてあれこれ書いています。その際、メーカーやクリエイターに対してやり場のない感情を抱き、それを文章に展しているケースは決して少なくありません(過度に感情的にはならないようにしているつもりですが)。しかし、こういう姿勢が「ユーザーとしてあるべき姿勢」から逸脱している、と言われても、私には合点がいきません。これまでの姿勢を自己批判するつもりも、そして方向転換するつもりも毛頭ありません。むしろ、賛否両論があがるのは当然のことであり、それはあらゆる局面において適合することと考える方が自然でしょう。

 批判的な声があがることに対して、過剰な反応を示すケースがだんだん増えているように思えるのは、私の気のせいでしょうか。

 論をぶつけ合うケンカであれば、失われるものがあったとしても、一方でなにがしかのものを得られると思います(私の乏しい経験より)。しかし、抽象論を掲げて「これがあるべき姿だ、これはよくない姿だ」と二項分解するゼロサム論は、相互理解に対して障害にこそなれプラスに働くことはけっしてないでしょう。

 自分に酔う前に、批判の受容を可能とするだけの余裕を維持することこそ、心がけたいものです。かくいう私自身、かなり自分に大して甘い姿勢を取りがちなのが実情ですし、なかなか難しいのは事実ですけれど。

 

※上記引用文の出所は、メールマガジン「[Gamers Life] 第411号 3/8 *読み物面*」によります。同テキストは、週刊ゲーマーズライフのWebサイトで、バックナンバーとして公開されています。(2002年3月13日付記)

3月6日(水)

 諸事多忙、および通信環境過渡期のため、しばらくサイトの更新を停止いたします。おそらく月末には本格的に稼働再開できると思いますが、しばらくお休みさせていただきます。これまでも突発的に1か月ぐらい沈黙していた時期もありましたが、今回は計画的なものなので、よほどのことがない限り予定通り復活できるはずです。一応メールのチェックは毎日する予定ですし、それに伴って突発的にサイトを更新する可能性はありますが、細かい修正などは後回しにさせていただきます。ご了承ください。

 

 鷹月ぐみなさんの「美少女ソフトライブラリ」がリニューアルオープンされました。「X-GAME STATION」草創期からいろいろと参考にさせていただいてきたこともあって、また楽しみが増えたな、と期待しております。

 ひるがえってウチの掲示板を見てみると、管理人自体は決してオールドゲーマーとはいえないにもかかわらず、なぜか古いゲームについて盛り上がることが多いことに、改めて気づきます。これは、「プラットフォームがWindowsベースであればともかくプレイ可能である」期間が長かったため、ゲームの寿命自体は長くなる一方、その最初期がいわば「Windows95バブル」の流れにのっていたという点も確かにありましょう。この時期には(あるいはそれ以前もそうでしょうか)適当につくって適当に出されただけというゲームが非常に多く、その意味では現在のゲームクオリティ水準は非常に高いものになっているといえましょう。しかしその一方で、ヒットする作品自体が「型」として成熟していなかった、あるいはパターンとして広範に認知されていなかったこともあったのでしょうが、雑多な要素が複雑にふれあい、その結果、全体として非常に複雑な色合いを帯びるゲームもありました。光の当て方によって色がかわる鉱物のような作品も、かなり多くあったわけです。

 しかし、現在のゲームを見ると、スマートになったせいでしょうか、こういった「雑多さ」から生まれてくる魅力を発見することはなかなか難しくなっているのが実情です。もちろん、スマートになったがゆえに、プレイヤーに対するアピールは(少なくとも第一印象においては)強くなったのは確かですが、プレイヤーが「ゲームという対象物を多角的に楽しむ」機会自体は、むしろ減っているのではないか、そのように感じます。

 市場が頭打ちになると、内容が次第に成熟していくという、いうなれば商品開発サイクルの自然の摂理なのではあるますが、だからこそ、「鋭さ」を教えてくれたゲームがあったこと、そしてそういったゲームの存在を多くの人に知ってもらうこと、そういう機会を残していけたらいいな、と思っています。

3月4日(月)

 『猟奇の檻第2章』『瑠璃色の雪(PC-98DOS版)』に引き続き、なかぢさんの攻略法『Piaキャロットへようこそ!!2』を転載いたしました。快く転載許可をいただき、ありがとうございます。もともとうちのサイトは「新しい情報をどんどん提供する」ものを目指してはおりませんし、実際そういうサイトなら他にいくらでもあるでしょう。しかし、情報が「古いもの」と判断されるや、ただちにその姿が見えなくなってしまうのが、インターネット上における「豊富な情報」の実態でしょう。さらに、消費者・情報享受者にとってはもちろんのこと、情報を広く公開することこそ本望と考える著作者にとってさえ邪魔者になることも少なくない著作権法という足かせがあるために、いったん「公開されなくなった情報」が再び日の目をみる機会は、まずないといってよいのが実情でしょう。そのためにも、「公開されている状態を維持する」ことが、もっと重視されてしかるべきだと考えます。これは攻略法に限ったことではないのですが。

 

 『雨に歌う譚詩曲』(emu)のレビューに関する感想をいただきました。その中に、ああいった症状の「精神病患者」というのは実際にいるのでしょうかという問いがありましたが、私は医師でも看護士でもありませんから答えようがありません。ただし、メインヒロインである悠に関する限り、妙な生々しさがあったのは確かです。出てくる薬などがいちいち説得力を増す、というより、なんだか具体的な体験談などを緻密に再構成したのではないかと思えるところさえあって、それが「ヒロインの苦しみ」を出していたと感じます。しかし逆にいえば、悠のようなキャラクターのうちどの程度までを「リアル」と感じられるかによって、受け止め方は大きく違ってくるのでしょうね。そう考えると、「ゲームというエンターテインメントの手法として」どの程度成功しているのかは、何ともいいにくい気もしてきました。実際、美佳のような症状は荒唐無稽としかいいようがありません(末梢神経系が麻痺していれば、手足を切断することになるケースも少なくないのは有名な話です)し、それとの対比を考えれば、二言目には「殺します」が出てくる割とゆがんだ性格(笑)に至るまで、すべてを精神障害に帰結させるという解釈をプレイヤーがしてしまったとしても、それを「間違った解釈」と断じることができるでしょうか。

 精神病患者をヒロインに据えつつ、そこにおちゃらけたムードを安易に引き込まなかった点は評価できるでしょうが、リアルに思えるケースと無茶なケースとを同居させる手法は、プレイヤーの知識によって解釈を変えることもあるわけですし、高評価をするには多少の留保が必要なのかもしれません。

 それでも、前作『Railway』に引き続き、定型的なパターンにとどまらない手法を見せてくれたことは確かなので、このメーカーには多少なりとも期待しております(^^)

3月3日(日)

 結局『千秋恋歌』をプレイするのが精一杯で、あとはもろもろの準備に追われた土曜日でありました。どうせまた日曜は出勤なので、もっとさっさとサイト工事を敢行したいのですけれど。

 転居の際、HDDが昇天してもなんとかなるようにと、データファイルを600MB程度ずつに分散した上で、MOおよびCD-Rに1つ1つコピーしているのですが、この手間がハンパではありません。なんでこんなデータを取ってあるかな、と思うものもある一方で、「捨てられない」ものが溜まりに溜まった結果……何のことはない、自分の書棚と同じ状況であることに、改めて気づきました。

 特に、テレホーダイ直後、さまざまなサイトを夜間巡回していたころのデータなど、捨てるに捨てられないんですよね。保存元のサイトはすでに閉鎖されているところなどが多く、そうでないところも古いコンテンツをそのまま残しているところは稀ですし。こういうときは、書き換え式DVDが欲しくなるものですが、値下がりする前に新技術の方が普及するのではないかと読み、当面はMOとCD-Rのタッグで行きます。まあ、MOは仕事の関係上離せないという面もあるのですが。

3月2日(土)

 昨日の収穫物、『月陽炎−千秋恋歌−』と、やはり月陽炎のサントラCD。前者はまず鈴香ルートを途中まで進めているという段階ですが、やっぱり女の子をかわいく書くという「基本」に忠実なのがいいですね。ラブラブ状態になったあとの照れ具合なんかが、もお最高(*^^*) 今回は柚鈴も美月も脇役に回っていますが、非常にいい味を出しています。結構ボリュームもありそうで、これで2800円であれば決して高くはないな、と思った次第。

 別館「X-GAME STATION ANNEX」への書庫ファイルの移転が一通り終わり、サイズの大きなツール類の転載も一応済ませました。ディスク容量にもそれなりに余裕が出ましたので、今後は攻略データの再整理とともに、レビュー書きも徐々に復活させたいと思います。新作の攻略法作成といったことはもう無理だと思いますけれど(^^;

 なお、転居間際の過渡期という理由で、テレホーダイを打ち止めにする関係上、5日以降の更新およびメールチェックの頻度が大きく下がります。事前の理由なくメガ単位の添付ファイルを送りつけたりなさらないように…って、そんなことをする人はまずいませんけどね。

 

 純粋に個人的な事情なのですが、部屋中にものがあふれている状況下では、とにかく「捨てる」ことをためらってはいけないのですが、発想や思考の足がかりを一つ一つ喪失していくような寂しさもあって、なかなか捨てるに捨てられません。実際、ふと転がり出てきたものからいい考えが生まれることも一度や二度ではありませんし、「ごちゃごちゃしたものが豊かさにつながる」と信じている私には、冗談抜きで試練の日々。うーん、農村系定住民なんだろうなあ、あたしゃ。



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