2003年1月の戯れ言


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過去の「戯れ言」

1月27日(月)

 溜まっているゲームはどんどんプレイ……できればいいのですが、ここ最近はむしろ古いゲームをリプレイしてはあれこれ思い返したりしています。このためカオス状態に陥っているHDDはちっとも片づくことがなく、結局いつまでたっても「インストールしただけ」状態のゲームがいっぱいというありさまです。困ったものですが、もともとゲームというのは義務的にプレイするものではなく、自分がやりたいようにやるべきものですし、筋を通すという“言い訳”をもって自分に嘘をつくのも虚しい話ですから、のんびりとやっていきます。実際にプレイしている時間そのものが減少しているわけではないのでゲームをプレイする意欲が減退しているわけではないのですが、新しいものを後回しにしている結果、必然的に新作はどうでもいい状態になっています(^^; 趣味が高じると買い物依存症のような状態になることも珍しくないのですが、ことゲームについては私はそっち方面には流れていないようで、ゲーム関係の支出が学生時代に比べて大幅に(絶対額でも)減少しています……というのはやっぱり珍しいのかな(^^;;;

1月17日(金)

 ここ数日は比較的時間に余裕ができているので、HDD内に溜まっているゲームをどんどん消化……できればいいのですが、実際に少しずつでも進めているのは『Never7』(KID)と『白詰草話』(LittleWitch)の2つだけで、あとは年が明けてからまだ起動さえしていません(^^; ではほかのゲームはまったくやっていないのかというとそうでもなく、むしろ古いゲームをリプレイして楽しんでいるというしだい。古いものを掘り出してやってみると、これがまた新鮮な“楽しさ”を喚起させてくれたりするのですからおもしろいもの。もちろん、ユーザーインタフェースやグラフィックなどにおける古さ以前に、現在では標準となっているスタイルからはほど遠いゲームデザインになっているものも多いのですが、やはり自分が“楽しい”と思えることが大事なんだな、と改めて思っています。

 今年のゲームで最初に手にするものが何になるかはいまだにわかりませんが、その前に「山崩し」が先決なんで、やっぱり(^^;

1月12日(日)

 『ギャラクシーエンジェル』攻略法がひととおり完成したので、このあたりで正式公開版とします。実際には各ユニットのパラメータ変化などの分析も少しずつ進めているので、これらも適宜反映させていこうと考えていますが、まだまだ時間がかかりそうなので、ひとまず「希望のエンディングまでむだなく到達可能」であり「いろいろなやり込み方がわかる」という程度のものとしては使えると思います。全選択肢を一応網羅している(はず)ので、すでにひととおりクリアされている方も、いろんな“アソビ”をしてみることをお勧めします。

1月11日(土)

 体調を崩していたうえに仕事が差し迫っており(8日から3日間は家に戻る時間さえありませんでした)、とてもゲームだのサイト更新だのができる状況にはありませんでした。これからしばらくは比較的時間が確保しやすい状態になると思いますので、引き続き『ギャラクシーエンジェル』の攻略を続ける一方、別のゲームもプレイしていきたいと思います。購入意欲は極限にまで低下していますが、プレイ意欲そのものは下がっていませんし、タマはまだまだいっぱいありますので(病んでますね、やっぱり…)。

 こんな状態だったため各サイトへの巡回もほとんど行うことができないまま日がたってしまいましたが、やっと一息ついてから各サイトをぐるり回ってみるとやっぱり落ち着くあたり、自分がかなりネットにはまっているのがわかります。長期の旅行などで計画的にネットから離れた場合には別でしょうけれど(数年前に実行しましたが、特に禁断症状のようなものは起きませんでした)、やはり日常生活を送っている場合の“依存度”はかなり高いようです。

 

 2日の本欄で“外部”との交通について書きましたが、これに対して、内外の分離は、同一の価値観を抱く者の任意集合に過ぎないアマチュア集団に対して適用する場合と、生産の流通(商品などが市場で移動するという広義の意味であり、業界の種別ではありません=Ken注)を前提とした職業者に対して適用する場合とは意味が必然的に異なりますというご指摘をいただきました。この趣味領域では、こういった集団ないし母体の相違そのものが曖昧なのも確かであり、生産者そのものが「任意集団に過ぎない」というケースは枚挙にいとまがないので、私は特に意識せずに一括していました。しかし、確かに流通を前提とする以上“生産者−顧客”の関係は生じるわけで、アマチュアのそれと異なる部分についても注目する価値はあるでしょう。

 「プロの領域」においては、実務上必然的に“外部”と向かい合う必要があり、そこで自分たち内部の価値観との衝突が生じた中で折り合いを付けて行かなくてはいけません。このため、“外部”あってこその“内部”になってしまうことは珍しくないでしょうし、むしろそれはプロにおいては“求められる要件”とも言えるのかもしれません。

 一方で、内部における自律的な「製品の提供」ではなく、いわば外圧による「商品の提供」へと転じる過程で、本来はクリエイティビティが求められるはずのモノづくりが、妥協の産物ならぬ惰性の産物へと転じることもあるのではないか、そんな気もします。これは何も観念的に“外部”をとらえる結果もたらされるものではなく、むしろ「商品」を作る際に“外部”を(良心的に?)意識する者がしばしば陥りがちな落とし穴といえるでしょう。しかしやはり、クリエイティブにモノを「作る」ことにおいては、内部における活発な議論なり衝突なりといった濃密なコミュニケーションが絶対に必要でしょう。そして、内部と外部との「共通の回廊」を通じてその成果を外部へとフィードバックすることによって、内外の双方を包み込む“秩序”をゆるやかに保っていくことが大事です。

 ただし、この結論はあくまでも私が実際に仕事を経て具体的に感じた“内部/外部”の感覚に基づくモノなのであり、実際には凝り固まった“内部”の野放図な拡大という面のが強いケースのほうが多いのかもしれません。少なくとも昨年末に表面化したさまざまな事例を見るかぎり、こちらのほうがより深刻のような気もしますが……。

 ……年明け早々、疲れてるんでしょうね、私(苦笑)

1月6日(月)

 4日のOFF会にご参加いただいた、BGMmasterさん、KO-1さん、藤八さん、akitoさん、FreshDollさん(以上、参加順)、お世話になりました。今後ともよろしくお願いします。なお、今回は「偶然の出会い」はありませんでした(笑)

 できるならば、今週中に『ギャラクシーエンジェル』攻略法にひととおりのカタをつけたいと思っておりますが、果たして時間をさけるかどうか微妙な情勢になってきたので、気長にお待ちください。ちまちまとデータ収集などもやってはいますが、そもそも私のプレイじたいもまだまだ甘いので、どの程度「有用なプレイ情報」を提供できることやら。

1月2日(木)

 『ギャラクシーエンジェル』の攻略法をちまちま作成中ですが、リプレイするたびに微修正を加えるというありさまなので、正式版が完成するのはかなり先のことになりそうです。

 

 さて、年初の目標としては、さほど大きなことはありません(たいそうなことをブチあげても守れるとも思えませんし)。ひとまず「自然体でサイトを作っていく」ことにしたいと思います。

 もちろん、自然体でいくことは、実は口で言うほど簡単なことではありません。無為自然より、怠惰のほうがはるかに難しいのも確かです。そしてまた、自然体であろうとすることそのものが、相当のエネルギーを費消するものです。しかし、怠惰という誘惑に対し警戒を怠らなければ、必然的に“じぶん”が浮かび上がってくるはずです。テキストを紡ぎ出していく過程で、その「自然体」を可能な限り、可視的な形で出していきたいと考えています。誰のためでもない、自分のために。

 

 昨年、特にその暮れには、ゲームのメーカーが取っている姿勢についてあれこれ触れることが多くなっていました。実際、「ユーザーフレンドリー」だの「顧客に対して親身」だのといいながら、実際には自分たちの目に届く範囲の“オキャクサマ”にしか視野が及ばず、自分たちにとって都合の悪い消費者、あるいは無関係な第三者に対しては「どう見られたってかまわない、自分たちは自分たちだ」という姿勢を示すメーカーがちらほらあります。例えば、採算の合わない事業を“オキャクサマ”に対して展開することをもって“サービスマンテン”という姿勢を示し、それによって一般的に求められる慣習からの逸脱を正当化する見解表明がなされることさえあります(少なくとも、多数派ではないと思いますが)。しかし、これは外部の人間にとっては単なる「都合のいい存在」に対する媚び以外のものではあり得ません。

 これと付随するものとして、2002年には「ウチの論理」と「ソトの論理」との衝突が多く見られたように思います。埼玉県のO-157ソフト問題、minoriの転売問題などをめぐる議論の手法で、これが特に顕在化していました。「事情を知らないのに軽々しく判断するべきでない」といった主張をしばしば見かけたものですが、判断材料がどのようなものであれ、そこまでで得ていた情報から論理的に推測できることを述べることに対して、第三者はどのような形であろうと非難できるものではありません。すでに周知とされる事実のなかから恣意的・選択的に「情報を選ぶ」のであれば別ですが、そうではなく「すべてを知らないものには語る権利はない」「すべてを把握していないのに語っても説得力はない」といった物言いがずいぶんありますが、これは非常に危険な姿勢ではないでしょうか。いわば「ある特定の人ないし集団」にとっては周知の情報ないし観念が「論理構築の前提条件」とされ、そこから逸脱する、あるいはその外部からの論については「立場が違う」の一言で頑として接点をつくることを拒むのは、その集団がどんどん自閉化していく一歩といえましょう。論理の手法が「異なる」ことを相互に認識したうえで「対話」を行わないかぎり、その集団が外部に対して有力な位置を得ることはできません。特に、とかく世間の風当たりが強い産業では、これはさらに明確になります。

 願わくは、ゲームを趣味とする人の集団ないしは群れが、こういう“自閉化を促進することで自滅への道を歩む”といったことのないように、と願うのみです。一介のレビュー&攻略サイト管理人として、“外部”との交通を常に維持できるようなインタフェースとしての「X-GAME STATION」を、今年も目指していきたいな、と思っております。

1月1日(水)

 本年もどうぞよろしく。

 昨年末に「年内に攻略を1つアップします」と明言したにもかかわらず、ついに間に合いませんでした。仕事でやっているわけではないとはいえ、見通しの甘さのなせる業。もう少し自分のさける時間と能力とを的確に把握する必要があるな、と思い直しております。やはりSLGの攻略法作成というのは、かなりの検証が必要のようで……。

 また、2002年内に書かれた「EP−ROMの昔話」を、新規コンテンツとしてまとめました。

 

 昨年発売のゲームを総括しようにも、そもそもプレイしている絶対数が少ないため、まとめること自体にあまり意味がなさそうです。

 ただ、主題歌を含むボーカル曲の質がかなり高くなってきているな、という印象があります。

 まずいきなり、2月には「雨に歌う譚詩曲」(同名/emu)と「僕と、僕らの夏」(同名/light)が出ました。前者はI'veの曲としては珍しいバラードで、しっとりとした韻文からなる歌詞(すべて日本語)が印象的です。後者は独特の「土の臭いを残す景色」を感じさせます。いずれも、これまでのゲーム主題歌にはなかったタイプの曲です。さらに、『AS 〜エンジェリックセレナーデ〜』が大量のボーカル曲を入れてきました。曲自体はなかなかいいのですが、声優に無理にうたわせている観があり、使い方という点でもったいない気がします。

 これに続いて「夢幻譜」(ONE2/BaseSon)「うたかた」(女郎蜘蛛 〜真伝〜/PIL)「Higher than Sky」(Fall Down/Lust)「escape」「scenario」(白詰草話/LittleWitch)「水のかけら」(みずのかけら/イオ)「Eternal Love」(ギャラクシーエンジェル/ブロッコリー)などなどが出ました。

 しかし、これらの曲がゲームの中でどのように使われ、そしてまたどのようにゲームを作ることに貢献していたかとなると、首をかしげざるを得ません。『雨に歌う譚詩曲』はBGMと展開とをうまくつなぎ合わせていたと感じますし、『僕と、僕らの夏』も独特のタッチのグラフィックとの相乗効果を巧みに出していたと思いますが、これ以外の完全新作ゲームの多くは「単独で切り離せばいいけど…」という留保が残りそうです。

 これは、何もサウンドだけでなく、例えばグラフィックやスクリプトなどでも言えることなのでしょうが、個別の要素ごとに評価するという手法がかなり広くなったために、それらを個別に「作る」ことが広まったのではないか、という気がします。特にサウンドは、のちのちサウンドトラックなどの二次商品を作りやすい、という面もあるのでしょう。

 ゲームをトータルで「作る」ことをまず第一にしてほしいのですが、これは難しいことなのでしょうか。個別評価に還元してその総和で事足れり、というものは、最終的に「アレはよかったけど…」というマイナス印象がどうしてもつきまといます。

 「X-GAME STATION」のような形式を持つレビューサイトにも、その責の一端があるのかもしれません。あれはいい、ここはいいというのではなく、ゲームから「受け取れるもの」を的確に示せるようなテキストを提供していけたらいいな、と思います。



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