2003年7月の戯れ言


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過去の「戯れ言」

7月27日(日)

 サイト開設まもなく(当初からだったかどうかは記憶が定かでありませんが)、各レビューページから直接ほかのレビューサイトのレビューを参照することができるように「関連リンク先」というコーナーを設けていました。実際には、X-GAME STATIONの「ワープゲート」(リンク集)に掲載しているサイトのみを取り上げるようになってしまいましたが、文中からほかのサイトへリンクをはることで、より多様な視点を得ることができ、それによって、ある特定の見解や判断に依拠しがちになるWebサーフの特性を、いささかなりとも緩和できたと思います。しかし、うちのサイトのリンク先の多くが、更新が停滞し、あるいは閉鎖していきました。X-GAME STATIONとほぼ同時期、あるいはそれ以前から開設されていたレビューサイトで、現在も更新が継続しているのは、九牙さんの「心の叫び」くらいでしょう。もちろん、更新ペースの後退については人のことを言えた義理ではないのは百も承知ですが、個人サイトである以上継続的につぎこめるエネルギーに限界がある以上、これも当然のことかもしれません。このため、文中からほかのレビューサイトへのリンクを凍結しておりました。

 その一方で、新しいレビューサイトも出現しているわけですから、そういったサイトをあらかじめ把握しておき、かつリンク集の更新情報をチェックしていけば、ほかのレビューサイトとの比較も可能になるだろうと思い、「GATE DIVE」に出ているレビューサイトを丹念に回ってみました。ところが、これでは文中リンクをはることは無理だな、と思えるものが多い多い。その理由は、誤解をおそれずに言えば、

「何が書いてあるのか、よくわからない…」

というものです。

 日本語の表現能力に難ありとか、サイトデザインに問題ありとか、そういう次元であれば理解できます(しょせんは技術的なレベルのものですから)。しかし、「ゲームをプレイすることを趣味としている」という最低条件をクリアしているだけでは、書いてある内容がさっぱり理解できないサイトが、私がサイトを立ち上げてからの1年間(1999-2000年:この間にリンク集をほぼ整備しました)に比べて大幅に増えているのです。具体的な例を逐一あげるのは差し控えますが、ゲームのプレイとは別の領域の趣味を持っていることを前提とした“暗黙の了解”があっての文字群(としか表記できません)を見ても、その部分は理解不能です(「納得できない」ではありません)。ざっと見たところこういうサイトは、各レビューサイトのレビューのなかでも4分の1から3分の1くらいを占めているように感じます。これに、形式にとらわれない日記のようなコンテンツも含めると、その比率は半分を超えるでしょう。確かに、ほかの個所で文章をものする機会が多ければ、それに準じた文体になりがちであるのは理解できますし、ジャルゴン(ごく限られた世界でしか通用しない言葉)に頼りやすいものですが(以前の私もそうでした)、参加者からのフィードバックを考えれば、こういう状態が“うっかり”長期にわたって続いてしまうということはないはずです。私の読解力が人並み以下ではないということを前提とすれば、特殊な表現方法に順応できる“読者”のみを迎え入れる形になっている、といえます。

 これが掲示板などであれば、ある特定の参加者が集まることで、誰がいうともなしに“暗黙の了解”が形作られていくのはわかりますし、発言者が特定できる(ように見える)ところでは、それがむしろ当然でしょう。しかし、Webサイトのコンテンツを単一で作成するサイト管理者=“発話する側”は、いわば独裁的な権力を有するわけで、その空間で“縛り”を設けることは、そのサイトの柔軟性を自ら袋の中へと押し込んでしまうものに思えてなりません。

 ゲームをプレイしてそれをもとにいろいろ書いてみる(話してみる)だけであれば、その受け手であるプレイヤーの興味関心が多様であるのは当然ですし、プレイするというインプットに対するアウトプットのバラエティを享受できることが、Webという空間(正確には、ネットワークコミュニケーション領域とでもいうべきでしょうか)の醍醐味といえましょうし、これによってゲームのプレイそのものが“単”から“複”へと、いわばレベルアップするわけです(ネットゲームについては性格が大きく異なりますので、この際おいておきます)。X-GAME STATIONでは、思ったことを言葉に固定化することでそれを残す一方、その残された題材がほかの人の何らかの糧になる可能性をつねに意識していきたいと思っていますから、このサイトをごらんになるための条件は、ゲームをプレイするという趣味を持っている方というだけにしており、これ以上の条件などつけたくありません(もちろん年齢制限というものもありますが、これは副次的なものにすぎません)。

 もちろん、個別のサイトの中で各サイト管理者の主張(明示的なものでなくとも、顕示せんとするものすべてを含めます)によって、参加者の敷居を設定することは、間違っている/いないと語ることができる性質のものではありませんし、またそういった判断をくだしてはいけません。しかし、サイト管理者にとって“都合のよい閲覧者”のみを迎え入れれば、運営に際しての心理的負担は低くなる一方で、多様な視点への接触という重要な機会をあたら失うことになります。かなりの時間と労力をかけてWebサイトを運営している以上、やはり多くのものを得られないともったいない。そして、こういった(場合によってはかなりの不快感を伴うことさえある)接触によって、この趣味世界が偏狭に陥ることにブレーキをかけ、隙間的なものでありつつもしたたかな柔軟性を持たせていくようになるための一助になればいいな、などと、かなり大それたことを考えていたりします。

 さて、ほかのレビューサイトの把握ですが、正直なところ調べるのに疲れてしまい、結局棚上げとさせていただきます。実際、サイトの更新にさける時間が今後大きく回復する見込みがないため、合間を見てはレビューをアップしていく、という程度のものになりそうです。一時的に「関連リンク先」を復活させかけたのですが、現状では上記のようなサイトが多く、巡回先を増やすのも労多くして功少なき結果になりそうと判断し、ストップします。

7月25日(金)

 パティスリーのWebサイトで『待宵草』の体験版が公開されていたので、ダウンロードしてプレイしてみました。もう少し背景の使い方に気を遣ってほしいなとは思いましたが、グラフィックはまず好み(高水準かと言われると、うーん……)。しかし一方で、テキストがかなりひどいです。例えば、蔵の中の描写に、こんなのがあります。

昨日空間に感じたような、ヘンな違和感がまったく無い。
逆に、問題なく奥までいけるんじゃないかという、
なんだかよくわからない自信まで湧いている。

よくわからなくなるのは読んでいるほうなんですけれど(^^; まず、「空間」は違和感を抱く対象ではなく、その場所において違和感を抱いたわけですから、「昨日ここで覚えたような」でいいはず。また「違和感」に対する修飾語に「ヘン」といっても意味不明であって、“感覚的にそぐわない/しっくりしない”を強調するのであれば、不快感や焦燥感を示す表現の使用が自然。「奥までいける」は「行ける」と漢字にするのが妥当ですし、さらにいえば“到達できる”ことを明確にするべき。とどめとして、最終段で唐突に主人公が意味的に主語となって「自信が湧く」といっていますが、そこまであった「主人公の目を通した描写」が、唐突に「心理状況」に変わってしまい、何がなんだか。セリフの部分はまだしも、説明部分でこういったテキストが流れるため、けっこう疲れそうです。

 その一方、各キャラクターはしっかり描けているようで、特にメインとなる紅巴がけっこうお茶目な性格をしているので、キャラクターとのやり取りそのものは楽しめそう。シリアスなテーマから中途半端な過程を経て安易な結論を出す、といった挙に出ないのであれば、事態が切迫していても実際にはほのぼのした雰囲気を気楽に楽しむ、ということでちょっぴり期待できそう。

 いえ、何だかんだで、こういう軽めで楽しそうなものでマトモなやつを最近プレイしていないんですよ。一時期こういうのではずれくじを引きまくったということもあるんですけれど(^^;;;

7月23日(水)

 この8月に、「X-GAME STATION」のOFF会を開きたいと思います。理由は、この時期に大規模なイベントが首都圏であるらしく(私は興味ないのでスケジュールなどの詳細は知らないのです)、このため地方在住の方にも上京される機会が大きいだろうという判断です。まあいつものパターンになるのではないか、という気もしますが、参加ご希望のかたは私までメールをお送りください。

 

 ここ最近は仕事自体はさほど忙しいわけではないものの、それとはまったく別のことに時間を費やしているのですが(ゲーム以外の趣味に走っているわけではありません)、それでもちまちまと時間を作っては積みゲーを消化しております。

 その1つである『SNOW』(スタジオメビウス)をプレイして、澄乃→Legendとプレイしたところなんですが、なんというか、これだけでかなり先が読めてしまうんですけれど、先行き大丈夫なのでしょうか。まず、しぐれですが、正体が竜神姉であることは確定していますが、これは白桜の最期での言葉のとおり、歴史を書き換える形で竜神伝説そのものが大きく変わり、最終的には龍神村そのものが大きく変貌してエンディングを迎えるような気がします。しぐれ自身はまだちらりとしか見ていないので断定できませんが、彼女は転生ではなく生き続けるという設定かな、という気もします。また旭も、その正体が掛け軸のウサギであるのは間違いありません。しかし、白桜の最期での立場が非常に微妙なだけに、掛け軸を中心として話が進みつつ、「最終的に掛け軸に戻らざるを得ない」「掛け軸には戻らないで済むがウサギ化する」かのいずれかのように思われます。素直に人間になってハッピーエンド、という展開はちょっと考えにくいですね。 ……という予想を立ててみたのですが、正解/不正解についてのメールなどを送るのはやめてくださいね(^^; 楽しみは先に取っておきたいですから。

7月20日(日)

 別に家を長期間空けていたわけでもなんでもないのに、とうとう半月以上更新をストップしてしまいました(^^; この半月のあいだゲームを何もプレイしていなかったのかというと決してそうではなく、ちょっとした息抜きに数十分程度起動してプレイすることはよくあったのですが、すでに何度もプレイしていたものをリプレイするケースが非常に多く、また内容も切れ切れで、まとまったことを書けるようなプレイではありませんでした。特段仕事が忙しくなったからというのではなく、プライベートの時間の中でゲーム以外にさく時間の比率が高くなっただけなので、今後も当面はこのような状態が続くと思います。

 これを受けて、今後の『X-GAME STATION』は、攻略サイトとしては休眠状態に入ります。今後も気になったゲームが出てくれば自主的に攻略法を作成してアップすることはあると思いますが、作成・検証する時間と労力をさくことはかなり難しくなっているので、ご要望などがあってもお応えできなくなると思います。

 現在公開しているデータについては、今後も継続して公開していきますので、その点はご安心ください。また、ゲームのプレイ自体を止めるつもりは今のところないので、この「戯れ言」やレビューについては、頻度が落ちてもそれなりに更新していくつもりです。

 もっとも、新作については相変わらず食指が動きません(^^; パティスリーの『待宵草』の設定がやや興味をひかれますが、なんだかどのキャラも同じような顔に見えてしまい、結果としてゲーム世界中のキャラクターの位置づけが曖昧になりそうな感じがするので様子見とさせていただきます。

 むしろ、買うとしたらハードウェアのほうになりそうです。グラフィックボードがRADEON 7500というのは、現在の3Dゲームをプレイするにはかなりつらくなってきました(CPUのAthlon800MHzがこれに次ぐかな)。またプレクスターの「PX-708」(DVD±R/RW、+R*8対応)、日立LGデータストレージの「GSA-4040B」(DVD±R/RW、-RAM対応)など、書き込み式DVDドライブにも興味深いものがかなり出てきました。この分野では、待てば待つほど速度および互換性は向上するのでしょうが、普及率が高くなると書き込み品質はむしろ低下するという現象がCD-R/RWドライブ普及の際に起こっていることを考えると、この秋ぐらいが買い時かな、と思っています。その一方で、外出時の記憶用デバイスとしてノートパソコンもほしいし(デジタルカメラを常用すると、合計2GB程度のメディアでははなはだ心細い)。算段をどうやってつければいいのやら。正直なところ、ゲームに向けられる予算がないのが実情です(^^;

 

 Webというネットワークを介したコミュニケーションでは、自分の書き込みや他者の書き込み、およびそれらの受容のされかたによってさまざまなトラブルが発生しがちであることは誰しも心当たりのあることでしょう。そういうケースにおいて、往々にして見られる表現が

「価値観や意見は人それぞれのものである」

というものです。これは確かにそのとおりなのですが、実際には各人の意見の是非をいっさい棚上げにしたうえで、それ以上の議論を許さずに流してしまい、そこで発生した問題を“曖昧な状態にしたままで”それまでの関係をキープしていく、ということにつながります。実際、このように「人それぞれ」というフレーズは、当面の対立を回避し、意見の妥当性については目を向けない場合に多く用いられており、この“殺し文句”によって自分の正当化を図ろうという姿勢があとを絶ちません。

 しかし、自分の意見の根拠が薄弱である場合に、こういうフレーズを用いることは、そう語る人の姿勢の善悪ではなく、むしろその発言(「意見」よりもさらに基本的な要素)そのものの説得力や信憑性を損なうことにほかなりません。こういう発言に対しては、まじめに取り合わずに適当に流していくのが処世術としては正しいのであり、関わり合うのは時間と労力のムダ以外の何ものでもないといってよいでしょう。

 こういう姿勢の背景には、多様性を尊重するとうそぶきつつも、実際には各発言そのものに対して“生の人間が発したもの”という感覚の欠落がうかがえます。Webにおけるコミュニケーション領域――私はこれを、仮想世界とは呼ばず「拡張世界(extended world)」と表していますが、これは各発話者が伸縮自在な領域を主観的に設定できるためです――は、そこで発した内容が他者とどのようにやり取り(受容/拒絶)されるのかを、意識的・無意識的を問わず判断することによってはじめて成立します。しかし、自分の言動が他者に受容(控えめにみても許容)されることを“前提”とされるがごとき姿勢を当初から曲げず、衝突が発生した場合に価値相対主義を唄うのでは、自己中心的な拡張世界ならぬ自己肥大世界に留まってしまいます。以前も同じ表現を使いましたが、“モニタの向こうに人がいる”ことを意識せずして会話を成立させようとしても、それは無理な話です。

 端から見ていると情けないトラブルはいくらも目にしていますが、これは誰においても発生しうることでしょう。月並みですが、人の振り見て我が振り直す心構えが、特にWebサイト管理者として求められるのだろう、と思います。



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