2004年8月の戯れ言


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過去の「戯れ言」

8月25日(水)

 掲示板に書いたとおり、液晶モニタを導入しました。それまで使っていたCRTに比べて、場所や発熱という点で大いに使いやすくなったのはいうまでもありませんが、静止画像の編集なども、色合いのクセがさほど強くなく、抵抗なく利用できます。

 それとあわせて、ゲームをいくつか買い込んできましたが、積みもいっぱいあるというのに、いったい何をやっているんでしょうか(^_^; 積むというより、インストールはできても起動できない『F 〜ファナティック〜』(プリンセスソフト)――いつになったらパッチが出るのでしょうか――がHDD内で眠っていたりするのですが、先日ディスク内の大掃除をしたため、いくらでもインストールできるという気楽さで、バンバン突っ込みました……が、いいのだろうか、これで。

 サイト更新は、レビューと「メモワール」を交互に行っていきたいな、と思います。

8月22日(日)

 X-GAME STATIONは、開設5周年を迎えました。われながら、1つのことをよくこれまで続けてこられたものだと思いますが、これもひとえに、ごらんいただいている皆様からの、有形無形の声援のたまものによるものです。ご意見、ご質問はもちろん、シビアなお叱りをいただいたこともありましたし、つらいときに激励をいただいたこともありました。こういったさまざまな反応があってこそ、このWebサイトを続けてこられました。

 最近は、業務がやや異常な状態になったり、その反動でモチベーションが大幅に低下したりしたため、更新頻度が大幅に低下してしまい、更新しても「戯れ言」ばかり、ということが多くなってしまいました。家に帰ってまで文章をまとめたくなんかない、という状態に陥っていたこともありますが、ゲームのプレイそのものは、現在も続けています。ぼちぼち、レビューのアップを本格的に再開させていきたいと思います。今後もよろしくお願いいたします。

 この5周年を記念して、連載「メモワール」を開始しました。これまでプレイしてきたゲームを、ゲームよりは、それをプレイしたときの私の状態やら何やらをまじえて綴っていき、ゲームに対する視線の変遷などを書き残してみようとするものです。レビューよりは、エセーに近いものですね。基本的に、具体的なゲームを毎回ネタに取り上げながら、時系列で書いていきます。ただし、ある程度時間が経ってから古いゲームに手を出した場合も少なくないので、必ずしもゲームの発売日順になるわけではありません。今のところ、20回ぶんくらいのネタはあるので、週に数回程度のペースで更新できればいいな、と思います。

 このほかにも、ちょっとした特別企画などを検討中ですが、実現するかどうかは未知数です(^_^;。

8月7日(土)

 掲示板のほうで「ゲームの発展」に関する話題が出ております。実際にリリースされて市場を左右することになった作品群を見てみると、1997年ごろが大きなターニングポイントになったことは間違いないでしょう。ゲームのプラットフォームがWindowsへと全面的に移行した年です。インターネットに接続する“出入り口”として、パソコンが最も売れたころから1年ほど遅れていますが、これは技術面の時差および既存ユーザー市場によるものでしょう。

 そして、インターネットの普及に伴い、消費者が商品の感想などを、Webなどを通じて容易に発表したり議論したりすることができるようになりました。これは、ゲームとも無関係ではありません。消費者=プレイヤーの意見がさまざまな形で表現されるようになります。その形態としては、ゲームをプレイして思ったことをまとめるWebサイトだったり、複数の人が意見を持ち寄る掲示板だったりするわけです――当然、「X-GAME STATION」も、その末席を汚しています――が、これが残した結果には、さまざまなものがあります。この点については後述します。

 

 さて、私は制作サイドの技術は、部品(グラフィックス、サウンド、etc.)およびインタフェース方面での転換は、やはり1997年前後という時期に、きわめて大きいものがあったと考えます。しかし、そこから新たなゲームのスタイルやデザインが生まれたとは、なかなか思えません。なるほど、プラットフォームのWindows化を契機に、特にアドベンチャーゲームのスタイルは大きく変わりました。「見る/聞く/話す/調べる/移動する」といったコマンドを全部調べてから先へと進む、いわゆるコマンド総当たり式のゲームはほとんど姿を消し、分岐するポイントごとに2〜3程度の選択肢が表示されるタイプのものが主流となっていきます。場所を移動する場合も、ノーヒントのマップ移動方式は時代遅れになり、チップアイコンが表示されるのが一般的になりました。

 こういった変化は、むしろ消費者=ユーザーの志向を反映した結果なのではないでしょうか。私はプログラムの技術が皆無なのでデザインに関する的確な論評はできませんが、ユーザーインタフェースの劇的な向上は、利用可能なスキルのしきい値が非常に高かったMS-DOSから、より取っつきやすくなったWindowsへというプラットフォームの変化が大きいものと考えます。コンベンショナルメモリの確保といった次元だけではなく、簡単に操作できることが求められるようになった結果といえましょう。細かくカスタマイズできるゲームが増えていくのも、(少なくとも表面的には)表示方法などを多様に変更できるWindowsと歩調を合わせた結果と見ることもできるでしょう。

 

 しかし、消費者=プレイヤーの嗜好が大規模に公開されるようになった結果、見解を発表する主体が、コアなマニアからより広範な層へと移行していきます。表出の大衆化ともいえるでしょう。これによって、いわば“声の大きいユーザー”にとどまらず、さまざまな層の意見が見られるようになるわけで、一見多様な要求が出るように思われます。

 しかし実際には、要求の微分化は、嗜好を特定のパターンへと分類してそこへ落とし込む結果になります。「属性」というタームがこの世界ではごく自然に使われていますが(実のところはジャルゴンでしょうが)、これはまさに、要求の微分化が分類して処理された結果にほかなりません。その結果、ユーザーの嗜好が類型化することになり、ゲーム制作におけるさまざまなエレメントも、大なり小なりパターン化する方向へと働くことになります。ユーザーのニーズが細分化された結果、それぞれの要求を一定程度満足する――ひととおりの“属性”に対応したキャラを用意するなど――ことが行われていくわけです。水戸黄門的に安心できる、ともいえますが、そういうゲームばかりとなると、X-GAMEという、多少なりとも日常から逸脱した緊張感なり興奮なりを大前提とした市場は、シュリンクする一方になるでしょう。

 現状の分析については、ここでは触れません。しかし、X-GAME市場が大衆化したターニングポイントを1997年と考えると、諸手をあげるにはためらいを覚えます。

 

 翻ってみると、例えばこの「X-GAME STATION」では、開設当初から、異なる見解の衝突を歓迎し、それによって解釈の多様性を不断の努力をもって――意識せずに「多様性」など実現できるはずありません――担保していきたいと考えておりました。設置した掲示板でも、少なくとも最初の段階では十分に、現在でもある程度は実現できてきたかと思います。しかし一方で、このWebサイトおよび掲示板で示された解釈そのものが、読者なり参加者なりに対して「解釈の呪縛」を施す結果になることを、私はもっとも恐れています。

 “大衆化した表現媒体としてのWeb”から消費者を分離することは、もはやまったくのナンセンスです。しかし、多様性の確保こそが、コミュニケーション世界のみならず、消費される市場をも豊かにすることは、説明を要するものではないでしょう。そのためにも、相互了解可能な基盤を大切にしながら――例えそれが、時代に棹さすものであっても――対話を意識した文章の記述を心がけたいものだ。そのように思っています。

8月4日(水)

 KIDの『Memories Off〜それから〜』が、Windows版に移植されるそうで。このメーカーはコンシューマーでまず発売し、続いてWindows移植版を出すという非常に珍しいところなのですが、今回もこのパターンのようですね(ただし、今回ははじめて店頭での一般販売も行われるとのこと)。コンシューマーでもプラットフォームごとに微妙にバージョンが異なり、あとになるほどCGの量が増えたりテキストが修正されたりすることが多いようですが、Windows版は最後に出されるのが通例なので、その面での心配はなさそうです。ただし、メモオフシリーズは非常にアクが強く、正解なのか失敗なのかはやってみるまでわからないという感じがありますが、今回は果たしてどうなるのでしょう。もっとも、積みがたくさんある現状では当然のように見送りですが、状況が変われば……ということで。

 

 『まじぷり』はいったん休んで、続いて『3days −満ちてゆく刻の彼方で−』(Lass)にも手を着けました。複数のゲームを完全に同時並行でプレイするのはあまりよろしいことではないのですが、無理してゲームをするなんていうのは本末転倒なので、とりあえずのぞいて見よう、という感覚で始めたまでです。

 こちらは、雰囲気は決して悪くないですね。登場人物の行動や言動が極端に走っているのが気に掛かりますが、最初にパターンありきのキャラ類型ではなく、パーソナリティと判断できる段階でとどめているため、安心してプレイできます。『まじぷり』の場合、キャラクターが出てくるたびに不愉快になったりしたものですが、こちらはそういう気配はなさそうです。ただし、そこそこの時間プレイしているのですが、いまだに選択肢が出てきません。けっこう長丁場になるのかもしれませんね。

 

 そういうしだいで、ゲームのプレイそのものは徐々に再開しておりますが、まとまった紹介文やレビューを書けるようになるには、まだしばらく時間がかかりそうです。なぜ現状では書かない(書けない)かについて具体的に説明することはできないのですが、“自分にとって”自然であることを最重視していく姿勢を保つためにも、もう数週間程度の間を開けたいと考えております。

 プレイしたゲームを、自分が出会った既存の創作物(ゲームにかぎりません)やテクストに適合させて“分析”することなら、たやすいことです。しかし、自分に陶酔するさまをわざわざ開陳する趣味の持ち主ならさておき(没入対象の聖化はスノビズムと表裏一体ですから)、楽しむ手段としての書き物をしていくのであれば、自分がそこに照射されるテキスト群を、単純化ないし(空虚なる)拡張化することは、絶対的とさえいえる禁じ手でありましょう。

 思うことを書き連ねていけることの快楽や幸福に対して、常に自制的/自省的でありつつ、Webという空間を使っていきたい。そんな風に考えております。



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